ゲームのこころ

ゲームのこころ 

多くのよいゲームには、「ここが面白いんだ」というポイントがある。それを私は「ゲームのこころ」と呼んでいる。 

もっとも、ゲームのどの辺りに面白みを感じるかはプレーヤーの好みにもよるので、なかなか一言で説明しにくい。あえて「心」というような、

捉えにくい言葉を使ったのは、そうした側面を表現したかったからだ。心は、それを捉える人の見方で変化するものである。 

あるゲームに対して、私がゲームのこころと感じるポイントと、貴方がゲームのこころと感じるポイントは、必ずしも一致しないかも知れない。

だが、それでも多くの人に「ここだ」と思わせるような要素は、確かに存在していると思う。 

ディアマント(ダイヤモンド)で、行くか戻るかヒヤヒヤしながら突き進む快感、ファブフィブで重要なのは、嘘か本とかではなくて次の人が引き取りやすくできるようにする工夫だなど、

「言葉」にしてしまうと、むしろ「こころ」の実体はすり抜けてしまうような気もするが、よいゲームにはやはりこころがあると思う。 

いや本当は逆なのだろう。デザイナーは、人々を捕らえる「こころ」をまず考えて、そこから逆にそれを実現するためのシステムを考えるに違いない。そのゲームの「こころ」が、

より鮮明に、そしてその範囲でできるだけ簡素なシステムで表現できれば、それはよいゲームである。 

ゲームを人に教えるときも、ただ単にルールを頭から順に言っていくよりも、そのゲームのこころを伝えようと考えた方が、うまくいく。 

ここが面白いんだよ。で、その面白さを支えるために、こんなルールがあるんだよ。でもそれだけでは面白さが損なわれるので、こんなルールもあるんだよ、と展開したほうが聞くほうも分かりやすい。 

逆に言えば、自分がそのこころを掴んでいるゲームは教えやすい。 

「ゲームは、そのゲームを一番好きな人に教わるとよい。」という言い方があるが、それが成立する理由は、その人がそのゲームの「こころ」を掴んでいると考えられるからだ。 

ゲームのインストでよく問題になることに、「作戦を教えるべきか」というのがある。 

「作戦は自ら発見するところが一番面白いのだから、ルールだけを不足なく正確に教えればよい。」 

という考え方が一方にあり、 

「教えすぎはもちろんよくないが、基本的戦略が分かった方がルールがむしろ分かりやすく、早くみんなに伍して楽しめるようになる。」 

という考えがもう一方にある。 

どちらにも一理あるが、両方というわけにもいかない。 

ここはやはり「こころ」の問題で、ルールを聞いただけで、あるいはルールだけ聞いて少しやってみるだけで、そのゲームのこころが感じ取れるならばルールだけ教えて、後は余計なことを言わなくてよいだろう。

だが、ゲームのこころを把握するために基本的な作戦や、ちょっとしたコツを知っておいた方がよい場合は、ゲームのこころを感じ取らせるために、ある程度は教えた方がいいだろう。 

どちらにせよ、なかなか微妙で、一般的にうまくいく処方箋があるわけではない。ケースバイケースとしか言いようがないが、ゲームのこころを意識し、それをどう伝えるかを考えるなら、自ずと答えは見つかるような気がする。 

ゲームのこころとは、提唱する私でもうまく定義できない、抽象的で曖昧な概念ではあるが、ある意味では、それあってのゲームだとも思うのである。 

ゲームとは、ゲームのこころを実現するためのシステムである。

2008年4月9日mixi日記より

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=770492690&owner_id=1296441