私はいかにしてククカードを作ったか。

私が初めてククというカードを知ったのは、当時五反田に有ったニチユーのショールームでだったと思う。きちんとした記録をとっていなかったので、はっきりしないが、1978年に購入したのだと思う。かれこれ30年も昔のことになる。

マッセンギーニ社製のカードは、実に不思議な雰囲気であった。初めはタロットカードかと思ったが、そうではない。解説書は入っていたが、イタリア語で読めない。だが、スートもなくただ、ⅠⅡⅢⅣⅤⅥⅦ・・・というように大きくローマ数字が入っているだけの40枚のカードで、複雑なゲームはできそうにない。ニチユーの窓口では、ゲーム用カードは間違いないが、遊び方は分からないということであった。こうしてコレクターズアイテムと化した。

その後、アダルトゲーム研究会で尋ねたが、分からなかった。そこでルールの翻訳を友人のH君に頼んだ。H君の専門は、スウェーデン語で、英語、独語は読めるが、伊語は時間がかかると言った。いつでもいいからと頼んだ結果、一月ぐらいで「トリオンフォ」のルール訳が出来た。早速プレーしてみたが、それは古風なトリックテイキングゲームであった。

1979年頃から「かるたをかたる会」が活動を盛んにした。そこで法政大学の江橋さんと知り合った。江橋さんからは後に、ウンスンカルタも、タロットも、ククも教わることになる。

私は多くの人にゲームを紹介してきたが、結局私のしたことは、Aさんに教わり、それをみんなに教え、Bさんに教わり、それをみんなに教え、Cさんに教わり、それをみんなに教え、Dさんに・・・の繰り返しだった。つまり私の仕事は、右のものを左へ、左のものを右へ紹介したに過ぎない。私のオリジナルな仕事は、いくつかの創作トランプゲームを除けば、殆どない。

だが、ブリッジやモノポリーから始め、ドミノも、投扇興も、ライヤーズダイスも、ディクショナリー(たほいや)も、ブラックレディも、アクワイヤーも、ナインティナインも、八八も、ジンラミーも、アベカエサルも、ククも、少なくともそのごく初めには、普及に力があったのではと、自負している。ククは、そうしたものの中で最も思い出が深いものである。

1981年、私は江橋さんから、念願のクク(カンビオ)のルールを教わることができた。とは言え実地に教わったのではなく、デンマークのラーセンの復刻したもののルールを、B5一枚の日本語に翻訳したものをもらったのである。そのゲームの、かるたをかたる会における評価は、「遊ぶことはできる」というものであった。

ラーセンのカンビオは、北欧系の42枚のカードで説明してあった。だが、これはマッセンギーニのカードですぐプレイできると私は見て取った。

それはとても不思議なゲームであった。手札はたった一枚。アクションはただの一度。だが最も私の興味を惹いたのは、「今までにやったことのない、単純なシステム」だという点だった。こんなゲームは、見たことも聞いたこともなかった。伝統的なカードゲームでありながら、どの伝統的なカードゲームにも似ていなかった。それでいて難しい仕組みはどこにもない。単なる生き残りゲームであるのに、不思議な役カードがあった。

恐らく1982年の初夏のことではなかったろうか。日付は忘れたが、私は自宅の居間で試された初めてのクク遊び、日本においては「かるたをかたる会」に次ぐ、二番目の試技であろうその日のテーブルを、今でもまざまざと思い出す。そこでは何かが光っていた。

試したメンバーは、私と私の妻となかよし村の最初期からのメンバーの、計五人だった。後から幸運だと思うのは、ククの面白さを感じるためには、最低五人のプレーヤーは必須である。このとき、それがギリギリ満たされていたのである。

ルールを読んだ私自身は、まずとても面白いとは思えなかった。単なる生き残りカードゲーム。手札はたった一枚で、アクションもただの一度。しかも困ったことに強いカードに強い能力がある。これはとてもバランスが悪い。つまり強いカードをたまたま引いた者が勝ち、弱いカードばかり引いたら、手がない、ように思われた。創った人は筋が悪いと思った。

私は

「あんまり面白くはないと思うけど。」

と前置きしてチップを配った。みんなは、

「仕方がないなあ、純さんは。」

と言いながら応じてくれた。ちなみにこの科白は、それ以前から現在まで、ずっと私の言われ続けてきた科白そのものである。

ルールを説明して、1ディール目はよく分からず、ルールに従ってプレイした。2ディール目に、「チェンジの後のノーチェンジ」が起こり、ゲーム慣れしている五人のプレーヤーは、瞬時に何が起こったか悟った。2セットほどで、五人は新たなゲームの魅力を味わった。

「これ、面白いじゃないか!」

私は私の浅はかさを恥じるとともに、ゲームという宇宙の、秘密を一つ垣間見た気がした。

このゲームのポイントは、「最も弱いカードを持った者を一人選ぶ」という点に尽きる。逆に言えば、最も弱くさえなければ、どんな弱いカードでも最強のカードと等価である、ということだ。配られたカードで決まるという私の理解は、こんな簡単な原理で、あっさりと良い方に裏切られた。ゲームって、なんて面白いのだろう。

交換の方向と、手番の方向が一致しているのも面白い。チェンジで通過していくどのプレーヤーの手札よりも弱い(又は同等)のカードのみが、回るのである。

強いカードに役があるのも納得である。つまりチェンジは危険なのだ。そこそこ弱いカードを持っていて、ノーチェンジと言うメリットは確かにある。たった一枚の手札なのに、正確に判断しなければならない局面が確かにあるというのは、なかなか凄いことではあるまいか。

上記の原理から、このゲームは、弱いカードほど強いという逆接的な結論が導かれる。つまり弱いカードを配られるほど、チェンジでそれがより強いカードと交換される可能性が高まる。すると前述の「ポイント」の効果で、最強も同然となるわけだ。だから必ず強くなる最弱のマットは、実は実にいいカードなのだ。ところがそれを制するのが、交換前に事態を終局させる「クク」のカードなのである。心憎いばかりではないか。

一体誰がこれを作ったのか。

それはまさしくフォークロアであろう。民衆がこれを作ったのだろう。ククは、農民が農作業の後に、村の居酒屋で小銭を賭けながら遊んだという。

五百年前にも、クニツィアのような天才はやはりいたろうが、恐らくそんな天才が一人で作ったのではなく、原型のシステムが、多くの農民の手によって改良され、熟成されて完成したのだろう。

これが、いわゆる西欧ではなく、北イタリア、スイス、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーといった、中欧から北欧にかけてのみ遊ばれているもの興味深い。なぜそれ以外には広まらなかったのだろう。

その後、村井かるた資料館で、各国のククカードを見せてもらった。カード研究家として高名な、シルヴィア・マンが来日したときは、ククカードを巡って意見の交換もした。学校のクラブや、近所の公民館で子供達に教えたり、SFファン科学勉強会にも持って行って「布教」した。SFの会では、T君という若干の問題児が非常に興味を示したのが、面白かった。

パソコン通信のFGAMEを通じて、再版の話が出たときは嬉しかった。だがこれは失敗だった。責任は私にある。こういうことに慣れていなかった私が、お任せしますと言って「ネット友達」に全てを任せてしまったのが原因で、品質的に満足のいかないものが出来てしまった。作った人が悪いのではない。きちんと仕様を語らなかった私が、未熟だったのである。だがこの経験は無にはならなかった。ずっとあとでグランペールからククを再販するときに、そのときの反省は全て生かして、よいものが出来た、と信じている。

最後に述べておきたいのは、現在の日本のルールは「私の」ルールだということである。これは何も自慢しようとか、権利を主張しようと言うものではない。どちらかと言えばその逆であり、懺悔をしようというものである。

一例を語ってみよう。江橋さんの訳には以下のようになっている。

以下引用-------------------

※再加入の料金・1回目、最初と同じ、2回目1/2、3回目 最初と同じ。再加入の権利は3回まで。

以上引用------- Cards And Tarots 5-43

この文の意味が分からない。これは一体どういう意味か。江橋さんに聞こうにも、例会は二ヶ月に一回とか、三ヶ月に一回とか、あるいはもっとまばらにしか、開かれなかった。

そこで、私は次のように解釈した。

「最初にアンティとして2チップポットに出す。1ディール目に失格した者は同額(2チップ)払って再参加。2ディール目に失格した者は半額(1チップ)払って再参加。3ディール目に失格した者は2チップ払って再参加。4ディール目以降の失格はセットから抜ける。」

そして後に、3ディール目までを「子供の時間」、4ディール目以降を「大人の時間」と呼んでみた。これは感覚的に分かりやすいだろうという配慮である。

後のたほいやさんの研究によれば、1回目はポットと同額、2回目はポットの半額、・・・というもっと過激なルールであるらしかった。なるほど引用文は確かにそうも読める。

たが、もういいのだ。ククの面白さは、私の誤読ルールで充分味わえる。「日本のククはこれだ!」(笑)と開き直ることにした。

だから、初期に私からルールを教わった人は、212とチップの支払いを覚えている人も、いるはずである。

現在は、もっとすっきり、アンティ1チップ、その後、123と改めている。が、どちらにせよ、これはイタリアやデンマークとは違うルールのはずであり、責任は、唯一私にある。後世に糾弾されるようなことがあれば、私一人が磔になるものである。

なお、原文のルールが欲しい人には、申し込みがあれば、コピーを差し上げる。

 

コメント欄:

現在の定説によれば、ククの発祥は五百年前のフランスということになっています。ラブレーのガルガンチュア物語に「コキュ」という名前で出てくるのが、それだろうとされています。ククと綴りはほぼ同じです。

コキュというのは、悪口で「寝盗られた男」という意味になりますが、本来の意味は郭公鳥です。現在でも北欧のククカードの「クク」の札には郭公が描かれています。イタリアのはふくろうみたいですが。

ではなぜ「コキュ」なのでしょうか。それは託卵という習性によると想像されます。託卵というのは、自分の卵を他の鳥に押し付けることです。「間男」の意味で使うのは他人の寝床(巣)の中で卵を産んでしまうことから、「カンビオ」の意味で使うのは隣へいやなカードを押し付けることから来ていると思われます。

残念ながらフランスの「コキュ」がどんなゲームであったかは、現在は正確にはわかりません。恐らく役カードのない(あるいは少ない)カンビオだったろうと想像されますが、証拠はありません。また発祥地フランスにはククは残っていません。

もう一つ興味深いのは、イギリスにランターゴーラウンドというトランプのゲームがあり、私が探した限り唯一のククカードを使わないカンビオです。このランターゴーラウンドが、コキュの古いルールを伝えているのではないかと、想像します。

以下は私の仮説です。五百年前にフランスでコキュが生まれる。(やがて滅びる。)それがイギリスに伝わり、ランターゴーラウンドになる。またイタリアにも伝わりククになる。それがドイツに伝わりヴォーゲルシュピール、ポーランドに伝わりグナッフ(ニャヴ)、デンマークに伝わりキッレとなる。更にスウェーデン、ノルウェーへ伝わる。20世紀後半、日本へ伝わる。

 

2006年03月22日mixi日記より)

 

【関連サイト】

クク(名古屋EJF)

ククフェアリールール集

ククの部屋

伝統ゲームを現代にプレイする意義(第3回)「クク」

ゲーム紹介:クク21 / Cucco 21 高円寺0分すごろくや (カンビオをもとに独自のアレンジを加えたゲーム)