文化としてのゲーム

一つ一つのゲームには、そのゲームを取り囲む文化がある。当然、歴史の長い伝統ゲームは、文化の構築が深い。

ポーカーというゲームは、ギャンブルゲームとしては変わったゲームとも言える。手本引きがギャンブルゲームとしては変わっているように、変わっている。両方ともギャンブルゲームのある部分を、他にないほど強調している。そうして、それはそのゲームの文化に依って支えられている。

ゲームの文化は、ゲーム本体と無関係に構成される。ま、無関係は言いすぎだが、外国から伝えられるゲームは、受容の過程で予想外の衣を纏うことがある。

ポーカーは、最初「はったり」のゲームであることが強調された。ポーカーの本質を一言で言うのは難しいが、私は「チップをして語らしめるゲーム」と思っている。だが受容の過程では、「弱い手で強い手に勝つゲーム」「はったりで相手をおろすゲーム」と思われた節がある。少なくとも紹介者の振れ込みはそのようなものであった。更に「ストレートを引きに行くゲーム」「度胸のゲーム」「ストーリーを作るゲーム」などという人もいた。

ポーカーは、ククと逆で、勝者は一人しかいない。だからククで中位の手で降りるのが馬鹿馬鹿しいように、ポーカーでは中位の手では降りるべきである。だが、その昔新宿のボーカーハウスでプレーした相手は、決して降りないプレーヤーばかりであった。こういう場で勝つのは簡単で、よい手のときだけ出て、悪い手は全て降りればいいのだ。ブラフもへったくれもない。日本のポーカーは、そのような文化の中にあったのである。

こうしたボーカーの水準が十年ほど前に、突然上がった。不思議なことである。江場さんたちの活躍の賜物なのだろうか。私には分からない原因で、日本のポーカー文化は変容したのであり、そのことを指摘した人は、まだいない。

私がバックギャモンを始めた1970年当時は、誰もバックギャモンを知らなかった。盤双六の伝統は、既に絶えて久しかった。

ところがその後バックギャモン協会ができ、受容されたこのゲームは、ギャンブルゲームの文化を纏っていた。海外でもギャンブルゲームであったのがその理由だろうが、海外では何にでも賭けるのである。また真偽の程は不明だが、ラバーブリッジは、海外では賭けるのが常識だと言う。だが、日本で賭けブリッジをやる人は珍しい。

バックギャモンの大きな大会に行くと、その参加費の高さに驚く。なかよし村は参加費が300円である。袋小路に至っては、一日遊んで200円だったりする。ところがバックギャモンの大会はこれらと一桁どころか、二桁も違う。三桁近く違うセッションすらある。

ゆうもあや水曜日の会は無料である。お金を掛けずにつましく遊ぶのがよいと思うのは、私の身勝手なのだろうか。だから、何万ものエントリーフィーを平気で払う人を見ると、「こういう文化なんだ」と思わずにはいられない。

30年ほど前に実際にあった(私には伝聞だが)、エピソードを紹介する。

その頃、私は象棋を始めた。象棋というのは、中国の将棋、シャンチーである。そのフェアリー感覚はたまらなかった。

当時、日本人で象棋をやる人は少なかったが、それでも日本将棋畑の人を中心にグループがあり、その中で名人も決めていた。その人たちは、本場に殴りこみ(笑)をかけようということになって、団体で中国に渡ったのだそうである。当時だからそれなりに大変だったと思うが、向こうの人は大歓迎で招いてくれたそうだ。そこで中国に渡り、あるホテルに泊まった。するとたまたま案内してくれたホテルのボーイが、「何の旅行ですか?」と聞いて、事情を話したところ「私も象棋を指しますよ。」と言う。そこで一局指してみようという話になった。

指した結果、日本の名人は、若いボーイにころりと負ける。

いかにもありそうな結果である。その昔、イギリスからホッジスやフェアバンという将棋好きのイギリス人が来日したが、泊まったホテルのボーイが、ちょっと将棋を指す人だったら似たようなことが起こっても不思議でない。

私は何もホテルのボーイを職業差別するつもりははないが、ある国のボーイは他の国の名人より強いのである。これはなぜか。文化が違うのである。

日本のチェスの実力は、世界で数えると、いつも下から数えてすぐ見つかる位置にある。しかしこれは、決して日本人の頭がチェスに向かないからではない。実際「ヒカルのチェス」で有名なヒカル君は、日系人である。ではどこが違うのか。育った文化が違うのである。

こうした伝統ゲームの情報は、概ね開かれている。勉強する気になれば、誰でも勉強でき、強くなれる。すなわち、ゲームは、人種・民族・国籍・歴史などといったものから、自由なはずである。将棋のルールが特別日本人に向いているというようなことはない。日本人にはチェスや象棋が先天的に向いていない、などということは考えられない。

それにもかかわらず、大内延介八段は、将棋に似ているマックルックこそそれなりに強いが、象棋やチャンギは全然及ばない。所司さんですら、本場では苦労する。

何が違うのか。文化が違うのである。

それでは希望はないのか。そんなことはない。

トリックテイキングの伝統の薄い日本のブリッジは、少しずつ頑張ってきている。

リバーシの伝統の切れている世界で、オセロは日本が覇者となった。マジック・ザ・ギャザリングを見ても分かるが、伝統は案外短期間にできるのである。

北欧やバルト三国やロシアの連珠は、既に日本を凌駕している。

伝統は強い。文化は強靭である。だがやはりそれは変わり得るのである。

 

2006年05月17日mixi日記より)