今年の牡丹

童遊びシリーズ3 今年の牡丹  

 

♪今年の牡丹はよい牡丹

お耳をからげてすっぽんぽん

もひとつからげてすっぽんぽん

 

今年の牡丹は私の最も好きな童遊びです。また今まさに滅びようとしている

遊びの一つです。

 

【ルール】

最適な人数は10人前後でしょう。最低でも5人は欲しいし、

学級全員でやるとちょっと多すぎて長続きしません。

最大許容範囲で、5~40人でしょう。

まず鬼を一人決めます。鬼決め(いずれ紹介)か、ジャンケンで負けた

人が鬼になります。

残りの人は手をつなぎ、内側を向いた円陣を作ります。鬼は円陣の

外にいます。

コドモたちは、反時計回りに歩きながら、

♪今年の牡丹はよい牡丹、お耳をからげてすっぽんぽん もひとつからげてすっぽんぽん

と歌います。今年の牡丹はの所は手をつないだまま歩きます。

お耳をからげてで、手を離し、自分の耳を指して指で円を描くようにくるくると

手を回します。すっぽんぽんで手をパンパンとたたきます。また手をつなぎ、

今年の牡丹は~ と続けます。つまり上記の歌を2度繰り返して歌うのですね。

2度楽しそうにやったところで、鬼がやってきます。

ここからは台詞の掛け合いです。

 

オニ 「入れてぇ」

コドモ「いや~」

オニ 「どうして?」

コドモ「しっぽがあるから」

オニ 「しっぽ切って来るから入れて」

コドモ「血が出るからいや」

オニ 「川で洗って来るから入れて」

コドモ「川坊主が出るからいや」

オニ 「海で洗って来るから入れて」

コドモ「海坊主が出るからいや」

オニ 「そんなら今度うちの前を通ったとき、天秤棒でひっぱたくぞ」

コドモ「そんなら入れてあげる」

 

ここで、コドモたちはオニを輪に入れ、また楽しそうに、

♪今年の牡丹はよい牡丹お耳をからげてすっぽんぽんもひとつからげてすっぽんぽん

♪今年の牡丹はよい牡丹お耳をからげてすっぽんぽんもひとつからげてすっぽんぽん

と動作を入れながら歌い回ります。二度やったところで、鬼が

 

オニ 「わたし帰る」

コドモ「どうして?」

オニ 「お昼ご飯だから」

コドモ「おかずはなあに?」

オニ 「蛙とナメクジ」

コドモ「生きてるの?死んでるの?」

オニ 「生きてるの」

コドモ「じゃあさようなら」

 

手を振って別れ、鬼は円陣から遠ざかる。

するとコドモは手をたたきながら、

「だれかさんの後ろに蛇がいる」

驍ニ囃す。鬼は振り返り、「わたし?」と聞く。

子供達が「違うよ」と言うと、鬼は「ああ良かった」と言ってまた振り直り、

歩み始める。鬼が歩き始めると、子供達が

「だれかさんの後ろに蛇がいる」と手をたたきながら、囃す。

鬼が振り帰り「わたし?」と聞くと「違うよ」と言い、鬼は「ああ良かった」と

言ってまた歩む。するとみたび「だれかさんの後ろに蛇がいる」と囃す。

鬼が振り返り、「わたし?」と聞くと、今度は「そう!」と叫んで

みんなで逃げ回る。ここからは普通の鬼ごっこである。

 

捕まった者が次の鬼になり、残りの子は円陣を作る。

最初に戻る。

 

【解説】

「今年の牡丹」は鬼ごっこですが、演劇的要素があります。

子供達は知りませんが、鬼とは蛇の精なのです。蛇の精と牡丹とが

一体どのような関係があるのか、私には不思議ですが、なにか呪術的な

なにがしかの暗喩をそこに感じます。

子供達と遊んでいると、「おかずはなあに?」のあたりで、子供達の

声がぬらぬらしてきます。「生きてるの、死んでるの?」は

一種のクライマックスで、子供達は本当にこわそうです。

思えばこの演劇は、不条理な演劇です。楽しそうに遊んでいる輪に、

入れてと頼んで断られる設定は、優れて子供達の現実的な恐怖を

誘います。いや、と言われるその理由がまた、不条理そのものです。

しっぽがあるから? しっぽなんてないよ。ところが鬼は、

「しっぽ切ってくるから」と卑屈にも答えざるを得ません。

すると、血が出る、川坊主が出る、海坊主が出る、と言を左右にして

みんなは聞いてくれないのです。不条理は深まります。

ところが追い詰められて一転、暴力に訴えると、みんなはあっさりと屈するのです。

私には、こここそ不条理に感じます。また、せっかく一緒に遊んでもらえたのに

しばらくすると、もう帰る、というのも不思議です。そして、みんなの

「だれかさんの後ろに蛇がいる」というこれまた不条理な囃し言葉。

それは私か?と問えば、みんなは一斉に違うと答えます。これはほとんど、

いや完全に「いじめ」です。

しかし、私は今学校などで「いじめ」が問題になるのは、

子供達がこうした遊びを失ったのも原因の一つではないかとさえ、

思っています。遊びは、子供達を解放するのです。ダークサイドへさえも。

では、この鬼ごっこは、鬼ごっこと関係のない歌がくっついて

いるのでしょうか? そうではありません。この前半部分の

演劇もどきは、鬼ごっこに対して重要な役割を担っているのです。

それは、距離の創出です。

「だれかさんの後ろに蛇がいる」と3度鬼は輪から歩み去ります。

その結果コドモと鬼は距離ができます。これは鬼ごっこにとって重要です。

なぜなら鬼とコドモの距離があまりに近いと、たちどころに捕まって、

逃げる-追う という鬼ごっこの楽しみが味わえないのです。

ですから鬼はコドモと距離をおかなければなりません。

「今年の牡丹」では、それが自然にとれるのです。

もう一つの距離があります。それは心理的な距離です。

「今年の牡丹」の鬼はかなりつらいものがあります。

不条理ないじめにあい、生の蛙やナメクジを食べるという想定に

なっているからです。オニは「鬼」という忌まわしい、恐ろしい名称が

つけられています。それも同じ理由からで、オニは忌まわしいもので

なければならないのです。もし鬼が楽しいものなら、みんな鬼から逃げる

必要がなくなります。またみんな鬼に捕まりたがってしまいます。

これでは鬼ごっこは崩壊します。だからオニは厭わしいもの、嫌なもので

なければならないのです。「今年の牡丹」の演劇は、そうした機能を

果たしているのです。

「だれかさんの後ろに蛇がいる」という声は、私の心の奥底へ

響きます。この呪術的な言葉をだれもが昔聞いたことがあったのではないか、

と私は思うのです。ただこれから先は、分かりません。

「今年の牡丹」は失われてしまうのでしょうか?

 

♪だれかさんの後ろに蛇がいる

♪だれかさんの後ろに蛇がいる

 

 (1996/07/13,14 FGAMEログより)

 

【関連mixi日記】

オニとコドモ(2006年04月02日)

コドモとオニ(2006年04月03日)