ワンダフルゲーム

ワンダフルゲーム

-ゲームの放散とバージェス頁岩

                                                                   草場 純

地球の歴史に何か決定的な瞬間があったとしたら、カンブリア爆発はその最大の

事件の一つと言えるだろう。

カナダのカンブリア紀の地層バージェス頁岩からはまるでガラクタ箱をひっくり

かえしたような後生生物のプロトタイプが見いだされると言う。こうした多種の一

度の登場=放散は生物界では珍しい現象ではない。しかし、カンブリア爆発はそれ

にはとどまらない。何しろカンブリア紀には、現生の全ての門がこの時に一度に登

場し、それ以来新しい門の登場は絶えてないのだ。それどころか現在存在しない門

すらある。そう、種でも属でも科でも目でも綱でもない、それらを含み統べる門そ

のものを一遍に登場させた原因は一体何か? 生物は枝分かれ、枝分かれして進化す

るのではなく、芝生のように一遍に登場してあとは何もせずに時間を過ごす、と言

うのか!? どうしてこれだけのプロトタイプを一気に作り上げることができたの

か、どうしてそれが6億5000万年前の一点に限られるのか、どうしてそれ以来新し

い門は登場しないのか、どうして5つ目玉の生物は今はいないのか?

しかし一方疑問は措いて、虚心にオパピニアだとか、アノマロカリスだとか、ハ

ルキゲニアなどの姿を見ると、これらを楽しんで作った神の愉悦が見えてくる。そ

うだ、これらは神のアイディアの爆発なのだ。

ゲームの進化も同じではないか。アイディアは時間に比例して一定に登場するの

ではなく、同時に多発する。

ここで以前連載したフェアリーギャモンについて、考えてみよう。以前フェアリ

ーギャモンの会に来られた方に、「これだけ色々考えるのには時間がかかったでしょ

う。」と言われて私自身意外な感に打たれたことがある。なぜなら、思い返してみれ

ば、フェアリーギャモン十数種類は、ほとんど一度に考案したからである。6面ダ

イスだけでなく8面ダイスや12面ダイスが珍しくなくなって来たころ、それらを振

りながら、少し誇張すればほとんど一夜で作り上げたものである。

これに近い例で、もっと明快な場合もある。それはオセロバリエーションである。

農工大の小谷教授は、百数十種に及ぶオセロバリエーションをほとんど一瞬に考案

した。もちろんこれは効率的にバリエーションを生み出して行く機構を着想した、

と言うことである。翻ってバージェス頁岩に戻れば、神は6億5000万年前に、効率

的に門を産生するシステムを見つけだしたのに違いない。するとそれ以来門が登場

しないのも、ゲームからのアナロジーで理解できる。小谷教授のシステムが全てを

一巡して機能を終えたように、きっと神のカンブリア機構も、バージェス頁岩の全

ての生物を産生して、その機能を止めたのであろう。

似たような他の例を探ってみよう。大象棋絹篩には、小将棋から始まって、中将

棋、大将棋、大々将棋、マカ大々将棋、泰将棋に至るまで、さまざまなサイズの将

棋が紹介されている。勿論少しずつエスカレートして、一辺が25升、駒数400を越え

るところまで行き着いてしまったのであろう。しかし、前後の史料から考えるに、

行き着いてしまうまでは意外に短時間であったと推測される。そう、大きくすると

いうアイディアが囁かれた瞬間に、爆発してしまったのである。残念ながら中将棋

がワシントン条約指定ゲーム(笑)になって絶滅寸前なのを除けば、小将棋以外の全

ての門は、もう滅亡してしまったのだが。

アイディアはアイディアに触発される。盗作も広い意味での触発に含めてのテー

ゼではあるが。

買い手も面白いゲームに遊び飽きると、ちょっとした変わり種を求めるのかも知

れない。同じシステムなら買い手は、苦しんで新しいルールを覚える必要はなく、

相違点のみを覚えればすぐできる。先発ゲームが後発ゲームのニッツェを開発する

のである。

例えば後世の学者は、20世紀後半に一度に登場したウノ・タキ・アサノ・ドボン・等

々のゲーム群を見て「ウノタキ爆発」などと言うかも知れない。(笑) 「前世」紀から

あったエイトという種がどうしてここへ来て放散したのだろう、などと疑問をもつ

かも知れない。これも生物界にアナロジーを求めるなら、ある新しい生物はそれを

捕食する新しい生物の登場を触発する、というように考えられるかも知れない。つ

まり新しい生物の登場自身が、新しいニッツェを開発するのである。

バージェス頁岩から復元される生物は、日がなこれを眺めていても飽きない。アイ

ディアの展開は、人の興味を捕らえて離さない。ワンダフルライフ!と叫びたくな

るのも誠に尤もだ。

一方、松田道弘氏は、『世界のゲーム事典』で、「アイディアを紹介したい。」と

語っている。遊びたいという欲求を純粋にアイディアに展開したのがゲームである。

そしてそのアイディアの展開は、時に放散というような、面白い現象を顕す。

生物が地球を舞台にした神のアイディアの具現であるなら、ゲームは遊戯空間を

舞台にした、人類のアイディアの陳列棚である。そうしたゲーム群を見、アイディ

アの豊富さに打たれるとき、私はワンダフルゲーム!と叫ばずにはいられない。

 

(1995/08/06 FGAMEログより)