なかよし村の25年

もうすぐ創設30年周年を迎える、草場さんのホームグラウンドの

ゲームサークル「なかよし村とゲームの木」

25周年に寄せての草場さんの文章です。

 

http://www2.ocn.ne.jp/~kusaba/gamenoki/rekishi.html

のミラーサイトになります。

 

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なかよし村の25年 その1

なかよし村も25年目を迎えた。

段々、老人性昔話症候群にかかってきたような気もするが、若い人に、

昔の話を尋ねられたりするのも確かだ。アナログゲーム会は、世に広く知

られているわけではないので、最近ゲーム会に来た人は、このようなもの

がずっと昔からあるのを意外に感じ、会の成立ごろの様子が気になるので

あろう。

また、「起源の起源」で述べたように、起源はカオティックで、初期値に鋭

敏と言うことは、逆に言えば現在から初期は推察しにくく、当時の記録がな

いとよく分からなくなってしまうということでもある。草創の頃の記録を残すと

いう意味でも、意義のあることと思い、回顧的になかよし村の歴史を述べて

みたい。

一度ではとても書ききれないので、連載にするが、連続する連載でなく、

断続的に続けていってみたい。途中、質問や補足などあれば、遠慮なくコメ

ントして欲しい。

さて、実は今から14年ほど前に、JAGAMAGAに「なかよし村の10年」を

連載した。それからもう、再び10年あまりが過ぎたと思うと感慨ひとしおでは

あるが、だから最初の10年はそちらを見てもらい、11年目から書き出せば

本当は、よい。しかしJAGAMAGAは、日本ゲーム協会の会誌であり、会

員に配られるのが本来で、広く世間にいきわたるものではない。だからJA

GAMAGAのバックナンバーを読むのは、なかなか大変だろう。そこで、今

回も設立以前から書き起こすことにする。

JAGAMAGAの昔の記事と、あるいは重なり、もしかすると矛盾するかも

知れないが、あまり気にしないで(笑)気楽に読んで欲しい。

初めに時代区分をしておこう。

私はこの25年間を、会場を基準に次の6期に分けている。

①第一期ルノアール時代 1981年12月1日~1982年2月27日 3ヶ月

②高田馬場トムソン時代 1982年3月6日~1982年5月29日 3ヶ月

③第二期ルノアール時代 1982年6月5日~1985年12月14日 3年6ヶ月

④新宿カトレア時代 1985年12月21日~1988年3月26日 2年3ヶ月

⑤第三期ルノアール時代 1988年4月2日~2002年6月20日 14年2ヶ月

⑥ブリッジセンター時代 2002年6月22日~現在 3年11ヶ月(継続中)

場所でいえば、目白→高田馬場→目白→新宿→目白→高田馬場と移り変

わってきた。なかよし村と目白ルノアールとの結びつきの強さが、分かるだろう。

特に第三期は、なかよし村史の実に半分以上を過ごしている。

先日、東京ナポレオン倶楽部のアフターを、「村さ来」でやったが、かつてル

ノアールがあったのは、その三軒ほど先である。

上記に更に前史が加わる。なかよし村が成立する前の話であり、それも三

つに分かれる。

0.前史

全ての淵源は1972年に始まる。何と34年前である。

この年、推理小説作家の田中潤司氏は、「アダルトゲーム研究会」を立ち上

げた。もちろん、大学の寮にいた私は、全くそれを知らなかった。

私は今でも、その本拠地も、どんな活動をしていたかも、殆ど知らない。ただ

SF作家の星新一氏も、小松左京氏も、名前だけなのか何か活動したのかは

知らないが、会員として参加していたと言う。(のちに星新一氏に尋ねたら、思

い出せないようであった。ただその時の星さんは酔っ払っていたので、真相は

定かではない。)

「アダルトゲーム研究会」と名づけたところに、田中氏の意気と先見が感じら

れる。今では考えにくいのかも知れないが、当時の社会通念は、完全に「ゲー

ムは子供のやるもの」であった。それに対して「大人が真剣にやってこそ真に楽

しめるゲームがあるのだ」と彼は主張したのである。そこで「アダルト」である。

だが、あまりに早すぎたのか、活動はたちまち下火になったようである。

そのアダルトゲーム研究会が、杉並区の久我山の喫茶店「邪宗門」に依って

リニューアルし、ちょっと雑誌などにも紹介され、話題になった。私は雑誌で見か

けて早速、邪宗門に出かけ、田中潤司氏、邪宗門のマスターの小野氏、高木

重男氏、アマチュアマジシャンのA氏、俳優のT氏、と知り合った。

モノポリー、アクワイヤー、ダーツ、麻雀、ブリッジなどをやった。そこで、私は

村長夫妻と出会った。そしてO村氏と出会い、事務局長をやっていたT氏と知り

合った。ブリッジで知り合ったO合氏を誘った。N雲氏も現れた。JAGAの三代

目の会長になるO田氏とも出会った。そして極めつけは、A桐さんだ。

ところが、その後ここの活動が、ギクシャクしてきた。

なかよし村の25年 その2

私がアダルトゲーム研究会に参加したのは、1979年頃と思う。田中氏が雑誌

「ホットドッグプレス」に先駆的な、ゲーム紹介記事「迷宮への招待」を連載し、

人もそれなりに集まって、だんだん機運が上昇してきた。しかしアダルトゲーム

研究会は、1980年には盛り上がったが、1981年に入るころからギクシャクして

きた。

田中氏が先見と主張を持って始めた研究会も、少しずつ人数が減ってきた。

私はよく知らなかったのだが、特に事務局長のT氏が始めたサイドイベント「ゲ

ームを楽しむ会」が、目白のルノアールに依って始められると、交通の便もあって

若い人たちはみんなそちらへと行ってしまった。まだ学生だったT氏と、既に小父

さんだった(失礼)田中氏では、若い人もT氏の方に行きやすかったのだろう。

邪宗門に来る人数が、段々減ってきたのだ。田中氏には、それはT氏の分派活

動と映ったのだろう。喧嘩別れのようになってしまったらしい。

「なったらしい」と書くのは、私はその間の事情を詳しくは知らないからであり、

こうしたゴタゴタを伝聞で書くのは差し控えるべきだとも思うが、話の筋がわかる

程度には触れねばなるまい。

こうして1981年5月、T氏は目白ルノアールを会場として、毎週土曜日に例会を

開く新しい組織「ゲーム・ソサエティ・インスピレーション」を立ち上げた。ここから

が前史第三期であり、その後延々とつづく土曜例会の出発点であった。

新たしく始められたゲーム会の意気込みは、大きな企画になった。まず、全国

に会員を募集し、会費を取って例会を維持する。積極的にマスコミに売り込んで、

ゲーム会を取材してもらう。尤もこれは、会員には不評で、取材のために肝心の

ゲームを楽しめないという面もあったらしい。T氏はゲームを広めるという大望が

あるが、会員はゲームを楽しみに来ているのである。初めからそこに齟齬があっ

たと言える。

更にT氏は、各大学にゲームサークルを作り、その連合会=大学ゲームサーク

ル連合のようなものを構想したらしい。そのために各大学のサークル連合や、ブ

リッジクラブに会費で購入したゲームを送ったらしい。だがいきなりゲームだけ送

られても、どうなるものだろう。その企画は二十年早かったと言える。

ゲーム・ソサエティ・インスピレーションは、たちまち行き詰まり、T氏は夏には姿

を消してしまう。

一方アダルトゲーム研究会はどうなったかと言うと、田中氏はゲーム会社にバッ

クアップしてもらって、ホテルなどで例会を開いた。

ホテルで会食をしてからゲーム、などということもした。しかしこれもどうかと思う。

恐らくゲーム会社もほとんどメリットはなかったのではないか。田中氏は、アダルト

な=大人の雰囲気を出したかったのだと思うが、やっぱり柄ではなかったのでは

ないか。やがて例会も間遠になってきた。

だがそれでも、私にとって田中潤司氏は恩師である。「迷宮への招待」は、「種を

蒔いた」と言ってよいし、「エントロピー」「ブラックボックス」「ヤーツィ」「テキサスホ

ールデム」などを、私は氏から教わった。何かと悪評のある人物でもあったが、謦

咳に触れるは大袈裟にしても、学恩?は確かにあると思っている。先駆者の業績

は、伝える者がいないと忘れ去られるだけであり、既に私以外にそれを伝える者も

少なかろうから、あえて述べておく次第である。

さて、インスピレーションはどうなったかと言うと、主催のT氏がいなくなってしまっ

たので、会員は途方に暮れてしまった。しかし全国の会員からは年会費を既に徴

収してしまっている。これは例会を担保に徴収したものである。ここで勝手に例会

をやめたら、詐欺である。そこで、T氏を手伝っていた、故 菊地忠昭氏が、会長代

行のような形で、ともかく年会費分の一年だけは例会を維持しようということになった。

一方アダルトゲーム研究会の例会が11月に持たれた。メンバーも減り盛り上がり

も欠けたが、何よりしばらく会が開けないという話でがっかりした。多分スポンサー

の関係なのだろうが、次回はまた郵便で連絡するということであった。その会も終

わり、帰りの下駄箱のところで、フェアリーブリッジ以来の知り合いのO合氏が、

「あっちには、行かないの?」

と、聞いてきた。

「あっちって?」

私は怪訝に思って尋ねた。

「目白の方の会だよ。」

私はこうして、インスピレーションの存在を知った。

1981年12月の寒い日だった。私は茶色いスキー帽を被り、目白駅の階段を上がっ

た。私の運命の日だったかも知れない。

なかよし村の25年 その3

1981年12月の土曜日午後7時、私は目白のルノアールの2階の特別席へ入った。

数人の人がゲーム会をやめる相談をしていた。私は「やめるのをやめよう。」と提案した。

記憶は定かでないが、村長K氏、村長夫人Rさん、O村氏、I本さん、などがいた。

66などのゲームをやったような気がする。

私が、以後の人生の土曜日7時からの2時間の大部分を捧げることになろうとは、

このときは予想しなかった。

だがのちに、Rさんは語る。

「あのときの純さんは、まさに『見っけた』という感じだったね。」

まさしく、私は安住の地、『もやしもん』の白癬菌ではないが「王道楽土」を「見つけた」

のであった。

この日このときから、「第一期ルノアール時代」は始まったと私は定義している。まだ

なかよし村ではなかった。

これからの「インスピレーション」は盛り上がった。私にとっては夢のような日々であった。

毎週待ちかねたように土曜日の夜、ルノアールに向かう。9時までは色々なゲーム。

それから村長宅やA桐さんのマンション、山手通りと目白通りの交差点にあった「Bガ

ール」などという店で、徹夜でゲームだ。(当時はまだカラオケルームはなかった。)朝

が来ると、始発で帰ったり、仮眠したり。昼ごろからまたゲームで、日曜の夕食を食べて

やっと解散である。翌朝は仕事が待っていたが、充実していた。

これは、ゲームやゲーム会に嵌った人には、誰にでも経験があるのではないだろうか。

特にその嵌り初めには。

最近でもそうした会の話や、そうした体験を聞くと、私はつい孫を見る祖父のように(笑)

目を細めてしまう。「おうおう、しっかり楽しむんだよ。」

最近はミクシィなどでもそんな話をじかに読めるので、なおさらである。

こうした我々のために、メンバーの住所録をO村氏が作り、「なかよし住所録」と名づけた。

なかよし村の名称の淵源は実にここにあり、同時に我々の雰囲気を伝えている。

世代の近い我々は、同じゲームをし、同じものを食べに行き、同じマンガを読み、一緒に

映画を見に行き(例えばET)、同じ夜を明かした。「なかよし」とは言いえて妙である。

こうして最初の黄金時代は、1981年12月~1982年1月頃であった。第一期ルノアール

時代の前半である。後半がこれと分かつのは、記録を採り始めたからである。

この前半に、我々のグループ「名称:ゲームソサエティインスビレーション/実質:なか

よし村とゲームの木」の基本方針は定まった。

まず、それは「自分達が楽しむ会」であること。マスコミや、大学連合のための会では

ない。普及も大事だが、自分達が楽しむこと、来てくれた人に楽しんでもらうことが、その

前提である。

次に、初めにインスピレーションが告知した「毎週土曜日、午後7時から9時、目白ルノ

アール」の路線を極力守ること。それは1981年の8月にインスピレーションを引き継いだ

ときの使命感である。驚いたことにその後三人ぐらい、テンスピレーションの縁で、ルノア

ールを尋ねて来た人がいた。続けていてよかったと思った瞬間である。

それから、菊地忠昭氏を永世村長にすること。これは今でもそうである。

なかよし住所録と、我々がかつて愛視聴したテレビ番組「チロリン村とくるみの木」から

、「なかよし村とゲームの木」の名称がつけられたのもこの頃であった。「ゲームの理論」

の「探索木」つまりゲームトゥリーの、もじりも含まれている。また「ゲーム・ソサエティ・イン

スピレーション」といういかにも、舶来趣味の、いかにも気障な、いかにも気取った名称に、

みんなが反発していたからでもある。

もう一つ、私にとって思い出深いのは、この一月に初めて7人で八八ができたことであった。

八八は子供の頃もやったし、6人まではやったことがあったが、白札を入れて7人でできた

ときは密かに感動した。夢が叶った思いがしたのである。今から思えば別世界のようでは

ある。

さて第一期ルノアール時代後半を開くのは、「寄り合い覚書」である。

私は1970年代後半からパズル懇話会に入っていた。これは、故 丸尾学氏の引きである

が、ここでは懇話会ニュースという詳細な記録を出していた。また初期のSFファン科学勉

強会では、毎月前回の出席者と話題のメモを出していたが、これが次の会の話題のとっか

かりになって、とてもよかった。

これをヒントに私は「寄り合い覚書」第一号を1982年2月20日号の記事から出した。(実際

に配ったのは3月6日トムソンに移ってからである。第一期ルノアール時代は、2号しか記録

が残っていない。正式発足から遡ってそれは、現在は-5号、-4号とされている。)

そうして、改めて「なかよし村とゲームの木」の会員を募り、月刊誌「芸夢通信」を私が発行

することにした。一般ゲーム初のジャーナリズムとの意気込みであった。

宣伝は、パズル懇話会、詰将棋パラダイス、SFフ科会だけでしたが、たちまち百人近く集

まった。年会費は二千円であった。

なかよし村の25年 その4

では、記録を採り始めてからの様子を見てみよう。

記念すべき第一ページには、1982年2月20日土曜日の記録が載っている。#-5、場所は

もちろん目白ルノアール、A桐さん担当で、記録第一回のゲームは「カナスタ」である。

この回の参加者は六名であった。これは意外な人数だった。この前の回に何をやったかは、

今となっては知りようもないが、そこまでの参加者は常に二桁を記録していた。記録をとった

最初の回の六名参加は、この後のことを考えると象徴的でもあった。

この日の参加者は、到着順に、K林、草場純、M田M子、O合、A吉、A桐である。

記録はM田さんの作ってくれた用紙に、私が書き込んだものである。カナスタについては、

以下のように書かれている。

「カナスタはラミー系のゲームですが、同じラミー系のゲームである麻雀とは、だいぶ趣が違

います。麻雀は3枚のメルドしかできず(槓子も本質的には3枚です)順子も認められますが、

カナスタでは3枚以上11枚までのメルドが可能で、シークェンスは認められません。早くあが

ることより大きくあがることが重要で、手札が少なくなるよりも多くなる方が(概して)有利なの

です。またパートナーシップゲームである点も、麻雀や他のラミー系ゲームと大きく異なるとこ

ろです。」

現在読んでもその通りと思えるし、懐かしいとも思える文である。

更にこのときは、対戦の記録も残っている。

☆A吉・K林ペア5205点―M田・O合ペア4730点★

きちんと五千点までやっている。

第二ページ、2月27日の#-4回例会には、15名の参加があって賑わっている。参加者は

到着順に、K地R子、S田、草場純、M田M子、M田、村長、I本、A吉、O村、O合、A桐、K林、

H野、H野弟、O平と、15人中6人が女性だと華やぐ。

この日に「なかよし村とゲームの木」の入会申し込み用紙を配り、すぐ書いてもらって入会し

た。会員番号は、1~20番を適当に分け合った。私は

19番である。

このとき、やったゲームは、ハムレット、トゥイクスト、グラス、ビジネスゲーム(アバロンヒル)、

ブリッジである。現在の皆さんは、ハムレットやトゥイクストは、ご存知であろうか。

ここで面白いのは、私がハムレットのミゼールを「オフェーリア」と名づけてプレイしていること

である。私が本来フェアリーの人間であることが、見て取れよう。

そしてこの回で特筆すべきことは、これが第一期ルノアール時代の最終回になったというこ

とだ。実はルノアールには三ヶ月で戻るのだが、1981年12月からでも三ヶ月、5月のインスピ

レーション発足からなら10ヶ月、アダルトゲーム研究会のゲームを楽しむ会から数えれば、実

に一年有余に渡ったルノアールでの定期ゲーム会は、ひとまず幕を閉じた。

移動の理由は、第一に目白より高田馬場の方が交通の便がよいということが挙げられる。

目白は高田馬場から一駅だが、ほかに交通機関がなく、この一駅は面倒と言えば言えたのだ。

第二に、ルノアールは特別室を借りる関係で、2時間の期限が厳しく守らされていた。しかし

ご存知のように、ゲームというのは2時間でピッタリ切るとは、なかなかいきにくいものである。

もう少し時間の融通がきくところが望まれた。

第三に、ルノアールの特別室は定員が13名であった。ここに15名やそれ以上も入り、ゲーム

を広げ、飲み物も来てとなると、大変やりにくかったのである。店に対しても定員オーバーは、

文字通り「肩身が狭」かった。

こうして、高田馬場辺りで、もう少し駅に近いところが求められた。R子さんが探してきてくれた

のは、高田馬場駅から100メートル(ルノアールは目白から200メートル)ほどの大型喫茶店トム

ソンだった。パチンコ屋の二階である。

ところで、高田馬場にもルノアールが何軒かあり、柳屋ビル一階のルノアールも、候補に上

がっていた。ここにも特別室があったのだが、目白の特別室より更に狭いので見送られた。20

年後にその上空に移ってくるとは、もちろん当時は想像もしなかった。

「なかよし村とゲームの木」正式発足へ、期待は膨らんでいた。それは4月の月初めからとさ

れた。

なかよし村の25年 その5

1982年3月6日土曜日、なかよし村は会場を高田馬場のトムソンに移した。トムソン時代の幕

開けである。尤もこのときはまだ正式には「ゲーム・ソサエティ・インスピレーション」である。

トムソンは高田馬場から早稲田の方へ少し歩いた、早稲田通りの北側で、現在はパチンコ屋に

なっている。当時は一階と二階に上がったすぐのところがゲームセンターで、二階の奥がかなり

広い喫茶店だった。その一番奥で、ゲーム会は毎週土曜日の7時から開かれた。曜日や時間は

インスピレーション以来の

継承である。

ルノアールでは特別室を予約して使うので、二品頼むように言われたが、トムソンでは一品で

よかった。ただし客あしらいは悪かった。ゲームセンターの奥で、うるさくもあった。

会報の、3ページに書かれている-3回目の例会では、オーヘルとナインティナインがプレーさ

れている。

ナインティナインは、デビット・パーラットの創作トリックテイキングゲームで、傑作の誉れ高いも

のである。のちに松田道弘氏によって紹介されるが、日本で最初にやったのは我々ではないか

と自負している。

このときの参加者は、草場純、M田、K野、O平、O村、I本、O合、村長、K林、A吉、Y田と11人

であった。

続いて3月13日。I本、O村、草場純、M田、村長、A吉、N山、A桐、A木、O橋、R子と11人参加

で、花札をやった。

花札も、花合わせのほか、むし、ポカ、と珍しいゲームをしている。このあたりがなかよし村の真

骨頂である。

更に3月20日の-1回例会ではコントラクトブリッジをやっている。13人参加でショートブリッジで

ある。1ダイヤリダブル4メイク、1380点という珍しい点が見られる。現在では取れない点かな?

この日の参加は、O合、A吉、草場純、A澤(山梨大教授)、K藤(バックギャモンの人)、K藤(フェ

アリー詰将棋の人)、T、A桐、R子、M田、村長、A木(なかよし村の最初のマークを作る)、O橋。

3月27日。M田、O合、A井(新潟から)、A木、村長、O田(後のJAGA四代目会長)、I本、R子、

O村、A桐、A吉、草場純、K近、と13人で、なんと禽象戯をやっている。

まず印刷した盤と駒を切り抜き、裏に成り駒を記入して、それから指した。禽象戯は、大橋宗英の

考案とされる7×7の盤で指される将棋である。取った駒を張れるのは、伝統ゲームでは、現行の

日本将棋とこれだけだろうと言われている。13人で指されたのは江戸時代以来だろうという話に

なった。

この会で、インスピレーションは完全に幕を閉じ、いよいよ次週は「なかよし村とゲームの木」の

正式発足となる。

トムソン時代の前半が終わり、後半となるのだが、これだけでもその後の24年にわたるなかよし

村の基本姿勢がすっかり出ているようにも思う。

まず、新たしいゲームをやるということが挙げられる。それは最新のゲームという意味ではなく、

その時代にあまりやられていないゲームということだ。99のように時代に先駆けたのもあるし禽象

戯のように昔のもある。むしや、ポカのように、すっかり廃れたもの、あるいは地方色の強いものも

やっている。また、二時間という限られた時間の中で、みんなで一つの、あるいは少数の、予め用

意されたゲームをやるという形式である。

こうした基本姿勢は、長く続くのだが、他のゲーム会には見られない、なかよし村独自のもので、

長所とも欠点とも言えるかも知れない。しかし良くも悪くも千二百を越える例会を支えてきた根本原

理となった。

またここまでの経過で、こうした形式がどうして成立したのかも、分かったのではないだろうか。つ

まり25年前の、出会いのままなのである。

次回は、いよいよなかよし村の正式発足から、トムソン時代の終わりまでを紹介しよう。

なかよし村の25年 その6

1982年4月4日土曜日、一般ゲームサークル「なかよし村とゲームの木」が、ついに正式発足した。

記念すべき第一回例会の参加者と実施ゲームを記そう。

R子、N西、O村、草場純、M田、O合、A吉、A桐、S田、A木、村長、の

11人である。ライト兄弟の初飛行を見た見物人は、たった5人だったと言われるが、それから少なくと

も25年は続くなかよし村の第一回の目撃者の、これが全てである。(あとトムソンの店員。)

このうち、現在でも村に来るのは、私とA桐さんだけ。村長夫人にして村の収入役のR子さんと、私の

元妻のM田M子さんは、年に一回程度来るだけ、O合さんとS田さんは、よそのゲーム会でたまに会う。

そして村長は、既に故人である。時の流れを感じて感慨無量である。

やったゲームは、スプラウト(プラウム)、ニム、シム、二人ビンゴという、ペンシルゲームの数々だ。

発足に相応しいとは言えないかも知れないが、そこがまた逆になかよし村らしいとも言える。

このとき特記すべきは、会誌と会員証を配っていることだ。会誌というのは、「月刊芸夢通信」の創刊

号である。

ここで、今まであまり触れることのなかった、ゲーム通信のことを述べることにしよう。

芸夢通信は、月一回なかよし村の会員に郵送する会誌である。入会金

500円と、年会費2000円を払うと、毎週一回の例会を保証し、例会に来た人には週刊の会報(覚書)を

無料で配布(非会員は1部5円)、それと年12号の月刊の会誌(当時はこちらを会報と呼んでいた)を

郵送する、というシステムである。

私はこれで、日本初の一般ゲームジャーナリズムを狙ったのである。後にボードウォークタイムスや、

JAGAMAGA、バンプレスやシュピールが出るが、同人誌レベルではあるものの、そうしたものの嚆矢

であると、現在でも自負している。

12ページ立てて、少なくとも5,6年は続いたように思う。

では創刊号の目次を見てみよう。

巻頭は本間晴樹先生の「歴史は遊ぶ」である。創刊号に相応しく、第一回は「ゲームの誕生」となって

いる。かつて小アジアにあったリュディア国の伝説を語っている。

第一回のゲーム紹介は「禽象戯」を紹介・解説している。第零回例会で実施したのは、そのせいかも

知れない。

そして第一回幻想の国だよりとして、ファウンデーションを説明している。これはフェアリーゲーム紹介

のページで、私の真の意図(フェアリーゲームの普及)の証言となるかも知れない。

論説欄があり、第一回は「ウォーゲームに未来はあるか」と刺激的なタイトルであり、24年後に振り返

ると、私の予言半ば以上当たったという感がする。

それから、「一人部屋」としてソリテアの紹介があり、これの第一回は「時計」である。

あとは「なかよし村だより」として、これまでの経過と今後の予定、オーバーコールとして投書(一回目

は数学者のH沢さんの葉書を転載させてもらいました)、ミニ情報(かるたをかたる会)、編集後記、奥付

となっている。発行日は1982年4月3日金曜日、編集人は草場純、発行人は村長である。

今ならホームページという雰囲気だが、無論当時はそんなものはない。原稿は全て私が書き、全ペー

ジM田さんの手書きを私が印刷し、一部の村民が協力してが製本・発送していた。

予定を含め会誌としての体裁は整っていたと思う。また今見ても、内容は古くなっていないと自賛したい。

以下駆け足で回想しよう。

第2回例会は4月10日、19人参加で、八八をやっている。

第3回例会は、17日、17人参加で、ミシガン(ニューマーケット)をやっている。

第4回は、24日、14人でビンゴをやっている。と、言っても例のビンゴではない。ドミノのトリックテイキン

グゲーム「ビンゴ」である。なおトムソンは周りがうるさく、あまり落ち着けない旨、覚書(会報)に書き込み

がある。

第5回は、5月1日、9人でセブンアップとハイファイヴをやっている。

第6回は、8日、14人参加。なんとあのディプロマシーを2テーブルでやっている。この時代に画期的なこ

とではないだろうか。もちろん二時間では途中打ち切りであったが、最後は店員に追い出されるように終

わっている。

第7回は、15日、7人参加でかるたをやっている。一般ゲーム会で、かるたはあまりやったことがないの

ではないだろうか。なかよし村の特徴の「何でも一度はやろう」が生きている。

第8回は、22日、18人参加で、各種ボードゲームをやっている。現在の第二土曜につながる方向である。

内容としては、名探偵ゲーム、ダービーゲーム、株式売買ゲームである。当時、どんなゲームがあったかの、

資料になろう。この回の覚書に、6月からルノアールに戻る旨、予告がある。トムソンは、やはりやりにく

かったが、ルノアールの広さで大丈夫かが、心配でもあった。

第9回は、5月29日、私は職員旅行か何かで、初めて欠席をした。担当はR子さんで、村長の記録である。

11人参加で、ヤーツィーとジャックポットヤーツィーをやっている。

これにて、トムソン時代の後半が終わり、即ち三ヶ月に渡ったトムソン時代が終了した。村長は二度と行

かんと書き込んでいるが、確かに二度と行けなくなった。その後パチンコ屋に改装したからである。

あとこの時代で一つ言い添えると、どんなゲームでも一度はやろうということで、アーケードゲーム特例会

を一度、例会の前の時間にやっている。ただし正式な記録としては、残っていない。

次回から、第2期ルノアール時代に入る。

なかよし村の25年 その7

1982年6月5日(土)、なかよし村は会場を目白のルノアールに戻した。第2期ルノアール時代の開幕である。

このころ、「なかよし村民台帳」が出された。正式の村民は男性83名、女性11名の、合計94名であった。

少なくともこの94人は、「芸夢通信」を創刊号から読んでいることになる。だがこのうちで、例会に来たことのあ

るのは、半分ほどかも知れない。

この6月5日の第10回例会では、11人の参加者で、エリアとエントロピーがプレーされている。両方とも現在で

は滅多にプレーされない二人ゲームであり、ゲーム盤を持っている者も少ないだろう。

以下、動向を見ていこう。

#11:6/12 7人参加で、ブラックレディ。

#12:6/19 11人、クリビッジ。

#13:6/26 14人、十六武蔵、十八武蔵、狐と鵞鳥、狼と羊、狐と羊。

#14:7/3 9人、ピノクル。

#15:7/10 18人、五目並べ、リバーシ、ニップ、リバーサル。このとき、後に森田オセロ、森田将棋で有名になる、

森田さんが参加している。

会誌「芸夢通信」も毎月順調に発行されている。

今日は時間がないので、詳しい紹介は後日に譲りたい。

なかよし村の25年 その8

第2期ルノアール時代は長く続くが、特にその初期には、後の基盤になるようなことをいろいろと始めている。例えば、#16(7/17)には、8月下旬のゲーム旅行の予告が載っている。また、後に詳述するが、8月にはSF大会への参加、10月には「第0回」ゲームオリンピックも実施されている。

第16回は、19人参加で、王手将棋と中将棋をやっている。また島田誠氏がラスベガスのバックギャモン遠征から帰ってきて、その土産話も花が咲いている。

#17(7/24)にはジンラミーをやっている。このときは、私の高校時代の親友のW君も来ている。

#18(7/31)には、コントラクトブリッジなのだが、みんなでビッグパスシステムに挑戦している。

#19(8/7)には、何と七国将棋をやっている。恐らく日本初の対戦であろう。「シミュレーションゲームの先駆だなあ」との感想が聞かれる。

#20(8/14)ついに、都市センターホールにて、SF大会内での例会となった。ゲームとしては、ロールプレイングゲームだ。現在では、例会場以外での開催は特例会という扱いだが、当時はそのような原則はなかった。

このSF大会は、大宮信光氏が実行委員長を務めていた。この会場で初めて安田均氏に会い、マジックレルムを教わった。今では珍しくはないが、コスプレの氾濫にゲーム会組は驚いていた。

都市センターホールは、その昔第2回オセロ大会が開かれたとき参加し、丸尾氏や下之薗氏と知り合った場所であり、何より私の母校(麹町中学校)の隣であった。そして星新一氏とも会った。私が

「草場憲二の息子です。」

と言ったら、星さんの言うことには、

「どうして?」

どうしてという質問も変だが、私は意を察して、

「単なる星さんのファンです。」

と、言ったら

「へえ。」

と言っていたが、心なしか嬉しそうだった。

あとでもう少し付け加えます。

なかよし村の25年 その9

今回は先に「芸夢通信」の続きを書こう。

「芸夢通信」は、発行部数僅か二百のミニコミ(マイクロコミ?)で、

その内容については、今まで書いたことがなかった。だから知ってい

る人は、一億分の二百であり、忘れ去られたら終わりである。したがっ

て、この文も貴重な記録であるかも知れない。

7月号、即ち第4号の内容からいこう。

巻頭は、「それでこそ状元だ」と題した「歴史は遊ぶ」である。清朝の

雍正帝の逸話として葉子の話が書かれ、科挙という中国官僚制度の

根幹に関わる逸話となっている。

ゲーム紹介は、花札の「ヨミ」系のゲームである「ポカ」の紹介である。

幻想の国便りには、ディスエントリーという「フェアリーブリッジ」の新作

が紹介されている。フェアリーブリッジについては、またそのうち紹介した

いが、なかよし村誕生の遠因の一つとなったコントラクトブリッジ連盟会報

の記事の続きである。

また巻末には、都市センターホールの地図が載り、SF大会の案内に

なっている。

8月号、即ち第5号は、歴史は遊ぶは「比較文化論ではありませんが」と

題してこれから何回か連載する道具論の、枕にしている。

ゲーム紹介は、「村技」とも称せられたブラックレディの紹介である。2枚1

枚パス、ウィドは最後のトリックの勝者のもの、シューティングザムーン(ス

ラム)なし、という「なかよし村」ルールになっている。またクリヤルールである。

そして論説は「囲碁は正しいルールで」と題し、日本ルールを排し中国ルー

ルで統一すべきであることを力説している。これは現在まで一貫した私の主

張である。

9月号、すなわち第6号は、5号の続きが多い。

歴史は遊ぶは、いよいよ道具三昧の開始で、「蛙の王様、髑髏の王様」と題

してチェス駒、論説は「囲碁は正しいルールで」の後編、ゲーム紹介は「スカート」

の、これは前編になっている。

またSF大会や、丸尾さんのところで開かれたフェアリー祭りの結果紹介が載っ

ている。

さて、例会の方だ。

#23は、1982年9月4日に14人参加で、スクラブルとダイヤモンドゲーム(チャイ

ニーズチェッカー)をやっている。

#24は、9月11日に19人参加で、レイルウェイラテバル東京版をやっている。製

作はO合氏である。

これは直接的な影響はないにしろ、後の大阪バロンや、ウラワイヤーの先祖とも

言えるのではなかろうか。

#25は、18日、16人参加でオーヘルと、ロイヤルカシノが行われている。

村旗の提案、村の通過の単位の名称の公募が行われている。意外なことに£ei

という名称に定まるのはずっと後で、長い間名称はなく、500単位などと呼んでいた。

仮称だが単位という単位だったわけだ。

#26は、25日。13人で、コメット、ミシガン、ツーテンジャックをやっている。

#27は、10月2日、9人参加でパンをやっている。トランプ7組を使うという大変な

ゲーム。もしかすると歴史的快挙かも知れない。

#28、9日、14人参加で、コントラクトブリッジ。まだ半端人数に対応できていない

のは、歴史を物語っている。

#29、16日、14人参加で、何と囲碁をやっている。どんなゲームでも一度はやろう

というなかよし村の面目躍如である。しかも中国ルールである。

そして翌日が、第零回ゲームオリンピックに当たる、ゲーム大会になる。以下その10

に続く。

なかよし村の25年 その10

#30、1982年10月17日日曜日、今はなき新宿の将棋クラブ「三桂クラブ」で、午前10時

半から午後4時まで、初めてのゲーム大会が催された。私は勝手に「第零回ゲームオリン

ピック」と内心で呼んでいるが、もちろん「ゲームオリンピック」と正式に呼んだものでも(そう

いう仮称で呼ぶことはあったが)なければ、後に開かれるゲームオリンピックに直接つなが

るものでもない。だが、その精神の出発点はここにあったのではないかと、密かに思っている。

なお会場は、後にバックギャモンの例会場にもなり、JBLの事務局も兼ねた記念すべき

場所でもある。

さて、参加者は20人で、プレーされたゲームは、スティッケムアップ、輪投げ、ウェイトマン、

ドンケツ、ポカポン、ドミノ、スクラブル、マスターマインド、バックギャモン、ジンラミー、ウノ、

ヤーツィー、ビンゴという不思議なラインナップである。

やり方は全員でそのゲームをして、それぞれの得点を累積していくという方式で、優勝は

O合氏であった。途中「歴史は遊ぶ」の筆者の本間氏もちょっと顔を見せてくれた。

非常に楽しく、私の心に強く残った大会だった。恐らくみんなもそうだったに違いない。

#31は、10月23日土曜日、13人参加で、ルーレット、きつね、ちょぼ一をやっている。

#32 10月30日土、11人参加で、なんと!シミュレーションゲームをやっている。とにかく一

度は全てのゲームをやろうという観点からは、やらないわけにはいかないということだ。

プレイされたのは、タクティクスⅡ、ドイツ戦車軍団、ゴジラ対モスラ。

#33 11月6日土、13人参加で、バントゥという珍しいゲームをやっている。サイコロを使わ

ない双六で、なかなか面白い。こんなゲームをやったことのあるのは、日本中で20人ぐらい

ではなかろうか。

盤はA桐氏の美しい手作りである。

#34 13日土、17人参加で、チンチロリンと天サイをやっている。天サイは、「柔侠伝」に出

てきましたね。M氏の手作りダイスである。例の村の通貨(£ei)を使っている。

この号に「来週みんなで『ET』を見に行こう」というお誘いが載っている。時代が分かろうと

いうのだ。

#35 20日、15人参加で、ポーカー。

ワイルドポーカーをしている隣で、ロウボール。

「フルハウスより強いのはなかなかできないわ。」

「ワンペアがせいぜいだなあ。」

#36 27日、15人参加、ドランク、絵双六、蛇と梯子、ウル。なかよし村初の創作ゲームプレ

イが、ドランクとは!

#37 12月11日土、16人。ブラックジャック、バカラ。

#38 二抜き連珠、混連珠、二抜き混連珠。参加者は7人と少ない。

二抜き混連珠はA桐さん考案のフェアリー。ルール上の疑問点続出。

「A桐さん、この場合どうするの?」

「二人の力関係で決めてください。」

#39 18日、9人参加で、モノポリー。ちゃんとモノポリーもやっているのである。

#40 1982年12月25日土曜日、13人参加で八八をやっている。例会では初めての八八である。

この回の八八は「忘八会」とは名づけられていないが、次年度から定例化される「忘年八八

大会」の第一回であり、これは現在まで続く。

さらに、25年続くチャンピオンダービーの第一回でもある。実は#-1のカトレア時代のブリッジ

の時に、成績順にポイントをつけて積算していこうという話しが出て、O合氏と村長ペアが優勝した

のだが、参加者も少ないし、いつまで続くかも分からなかったので、話は立ち消えになっていた。

この八八でも村長が優勝し、後にAポイントが制定されることになるのである。

また、一年前のインスピレーションの出会いから、ちょうど一年であった。その後、アダルトゲーム

研究会の例会も、一度か二度、開かれたように記憶しているが、参加者も漸減し、やがて立ち消え

となった。

だが、田中潤司氏の夢は、形を変えて引き継がれたと言えるかも知れない。

なかよし村の25年 その11

芸夢通信の10月号、即ち第7号は、1982年10月2日に出ている。

歴史は遊ぶは、「世界で最も高価な駒」である。またAさん筆になるゲーム旅行の記録がものされて

いる。また前回書いたゲーム祭りが、確かに「秋祭り」という形で予告されている。ゲーム紹介は、「スカ

ート」の後編である。

またこの号から、たまねぎ13号の筆名で「ブリッジ・イン・マリネラ」が始まっている。これはビクター・モ

ローの有名な「グリフィンズクラブ」のような、ブリッジにまつわるドタバタストーリーであり、好評だった。

それから通貨の発行が告知されている。そして単位の名称が募集されている。候補としては、ガバス、

マルテル、マンテル、なかよし、ターキ、レイ、角、ノルマ、ダルマ、スペド、ハバト、オカネ、エントリー、バ

ルネラブル、貫、が挙がっている。結局レイ(£ei)に落ち着くのは、ずっとあとのことである。

1982年11月号、即ち第8号は、11月6日発行。歴史は遊ぶは「残った残った(八百長という言葉が・・)」。

オーバーコール(投書)として、大阪の楠本さんの5五将棋が紹介されている。また町田さんの絵による秋

祭りの結果報告がある。またなかよし村資料館資料のリストとして、ルールなど20ほどが挙がっている。

12月号、9号は、12月4日発行で、歴史は遊ぶは「全国のゲームマニアよ団結せよ」、ゲーム紹介は「京

都ミニ将棋」、ブリッジ・イン・マリネラの第2回、海外ゲーム事情ではスウェーデン編として「ムーミン」が取り

上げられている。また王手将棋の必勝法解析が載っている。

1月号は1月1日発行で、歴史は遊ぶは「よく遊びよく食べよ」、論説は「物語られたトランプ」で、ブリッジイ

ンマリネラの第3回、京都将棋の実戦編など。

この号で会員が124人になったことが発表されているが、123番目の会員はかの松田道弘氏である。

例会の方を紹介しよう。

#41

1月8日 9人参加で、ファイヴハンドレット。

#42

1月15日 11人参加で、バックギャモン。

#43

1月22日 8人参加で、スポイルファイヴと大貧民。

#44

1月29日 11人参加で、チェスをやっている。もちろん普通のチェスである。

何でも一度はやっているというのが、よく分かるだろう。

今回の最後に、覚書の44号に載っている、当時のエピソードをひとつ紹介しよう。

村民「草場さん、今日は何やるの?」

草場「チェスだよ。」

村民「どんな?」

なかよし村の25年 その12

ちょっと戻るが、1983年1月15日の#42、11人参加でやったバックギャモンが、

第1回なかよし村バックギャモン大会である。もう23年の歴史があるわけで、日本

選手権、地区対抗戦に次ぐ日本第三位の伝統があり、かつ権威のない(笑)大会

と自負している。

これは大会通算としては第2回である。だが本当のことを言えば大会と自覚したの

は、1984年9月の第6回大会からである。それ以前の5回はその時点で遡って認定

したので、やっているときは大会の自覚はなかったのである。

なかよし村の一年は、開村が4月だったので、4月~翌年の3月までと定義した。

これは「日本国」と独立に「なかよし村」があるという意識である。(笑)

なかよし村は、日本とは別の通貨(£ei)が流通し、別の暦が流れ、別の言語を話し

(ゲーム語(笑))、村長が統治するという発想だ。もちろんジョークだが、気分は独立国だ。

元号は「なかよし」である。西暦との対照は次のようになる。

1981年4月~1982年3月 なかよし零年

1982年4月~1983年3月 なかよし元年

1983年4月~1984年3月 なかよし二年

1984年4月~1985年3月 なかよし三年

1985年4月~1986年3月 なかよし四年

1986年4月~1987年3月 なかよし五年

・・・・・

それに対して1月から12月までの暦年を、村では逆に「年度」と呼んだ。

これを逆に使って、各年ごとの大会の様子を見てみよう。

なかよし0年 1回 ブリッジ(大会非認定)

なかよし1年 2回 八八 ギャモン

なかよし2年 3回 八八 ギャモン ドミノ

なかよし3年 4回 八八 ギャモン ドミノ

なかよし4年 7回 八八 ギャモン ドミノ ジンラミー

なかよし5年 6回 八八 ギャモン ドミノ ジンラミー

なかよし6年 10回 八八 ギャモン ドミノ ジンラミー

なかよし7年 9回 八八 ギャモン ドミノ ジンラミー ブラックレデイ

なかよし8年 12回 八八 ギャモン ドミノ ジンラミー ブラックレディ

なかよし9年 12回 上記に加え、ライヤーズダイス スコポーネ

なかよし10年 12回 同上7種目

なかよし11年 12回 同上 現在に至る

なかよし8年、すなわち1989年からはBポイントを導入し、カップを用意して年間

優勝を争うようにした。これは非常に面白く、評判が良いので現在も続けている。

このなかよし8年を第1回として、年間最優秀者争奪戦の通算回数が、もう今年で

18回目である。

また最初は単に優勝回数を数えていた(Dポイント)が、ペア戦では二人、ローン戦

では一人はバランスが悪いというので、一律四人にポイントを与えるCポイントを決めた。

だがこれでは引き分けが多いし、優勝が軽すぎるというので、優勝3ポイント準優勝1

ポイントのAポイントが定め、これが決定打となった。

以来Aポイントは、ずっと積算されている。

ABCDというのは、後からつけた名で、考案順とは食い違っている。またDポイントを、

現在は7位までの入賞者の入賞回数に当てている。

大会の成績上位者に与えられるポイントを纏めてみよう。なおローン戦とはペア戦でない、

一人で戦うゲームのことである。

Aポイント

最も権威のあるポイントかも知れない。

優勝3ポイント、準優勝1ポイントと、原則二人にしか与えられない。ただしペア戦だと

優勝3ポイントを二人、準優勝1ポイントを二人と、四人に与えられることになる。

永年積算で、その時点での最高保持者を「首位」と呼び、トロフィーを渡している。25年

経た現在でも、首位経験者は7人しかいない。現在の首位はK嶋氏である。

Aポイントの年ごとの最高取得者には、殊勲賞が与えられる。

現在は優勝回数で定めている名人位も、今後Aポイントで決定する予定。名人には允

許状とメダルを与える。

Bポイント

これの合計で、年間優勝を争う。

毎回の大会で、1位10ポイント、2位8ポイント、3位7ポイント、4位6ポイント、5位5ポ

イント、6位4ポイント、7位3ポイント、8位2ポイント、9位以下1ポイントが与えられる。

ただし最下位は0ポイント。年末には若干の割り増しもある。

ペア戦は1位8ポイント、2位6ポイント、3位5ポイント、4位4ポイント、5位3ポイント、

6位2ポイント、7位以下1ポイントが、ペアの二人に与えられる。ただし最下位は0ポイント。

これは割り増しがない。

なお2点以上のBポイントをB’ポイントと言う。ローン戦で8位以上、ペア戦で6位以上が

該当する。

1年間積算した最大獲得者が年間最優秀者で、カップを手に入れる。また一年ごとの

持ち回りだが、ペナントもある。ペナントを手にした者はいままでに10人しかいない。

(18年で10人とは、何度も取っている悪い奴がいるということだ。)

Cポイント

最も古く、最もペアや優勝者にカラい点。

1位から4位まで1ポイントずつを与える。ローン戦でもペア戦でも一律4人に与える。

永年積算だが、記録は発表していない。いずれ公表する予定ではいる。

年間最多獲得者に技能賞を与えている。

Dポイント

最も新たしいポイント。入賞者に与える。入賞とは7位以内で、ペア戦だと14人もいるから、

ペア戦なら取れない方が少ないかも。

入賞者には入賞チップ(賞板)を与えるが、これは3枚集めるとエントリーフリーになる。

露骨に言えば一枚百円の価値があり、最も価値が高いポイントだという噂もある。

年間最多入賞者には、現在は敢闘賞を与えている。

グランドスラム

七つの大会に全て優勝した人をこう呼ぶ。現在達成者は僅かに二人である。ブロンズ(賞像)

を与える。

大会上位者に与えられるもの

8位以上 B'ポイント

7位以上 入賞チップ

6位以上 賞金(6位は£1)

5位以上 賞品 (£5)

4位以上 Cポイント (£10)

3位以上 賞状[あんたの勝ち] (£50)

2位以上 Aポイント{1} [あんたの勝ち] (£100)

1位優勝 優勝杯(ただし持ち回り) {3} [あんたが一番] (£500)

賞品は一位から順に、好きなものを取っていく方式。

昔は毎回5個ずつ(ペア戦は6個)主催者が用意したが、現在は持ち寄りになっている。その結

果下位にまで行き渡る。(余る(笑))

つまり、ローン戦で優勝すると、Bポイント:10、入賞チップ、賞金:£500、賞品:最初に選択、C

ポイント、賞状:あんたが一番、Aポイント:3、優勝杯、が手に入り、更に名人位・グランドスラムの

権利の一部が手に入るのである!

最後に獲得アイテムを紹介しよう。

賞杯(カップ):大会優勝者へ。年間優勝は取りきり。

賞盾(プラーク):ペア戦の優勝者へ。

賞牌(トロフィー):首位者へ。

賞旗(ペナント):年間優勝者へ。

賞板(チップ):入賞者へ。

賞状(オーナリー):上位者へ。

賞金(ピュアズ):上位者へ。

賞品(プライズ):上位者へ。

賞貨(メダル):名人へ。

賞像(ブロンズ):グランドスラマーへ。

というわけで楽しいので、なかよし村の大会へ、あなたもどうぞ。

なかよし村の25年 その13

では、寄り合いの経過を先に辿ってみよう。

#45 1983年2月5日土曜日 午後7時~9時

12人参加で、ナポレオンとナップをやっている。札幌からの参加者がいる。また、3月13日に芦屋の

滴翠美術館に行こうという案内がある。

#46 1983年2月12日土曜日

この日は、記録的な日であった。参加者は私とA桐さんの二人。なかよし村の25年の歴史で、参加者

が最も少なかったのは二人で、そのようなことが1234回の開催で2回あった。その1回目である。

二人でシンネリとチェッカーをやった。こういうところはゲームのいいところだ。たとえ一人でもソリテアが

できる。まあ、かなり虚しいが。

ある意味で、なかよし村方式は限界だったのかも知れない。だが、ここを越えて初めて歴史的意義が

出てくるような気がするのだが、どうだろうか。

#47 1983年2月19日土曜日

翌週は反動のように多数来場。いつもの特別室には入りきれず、二階の一般席で実施。参加は17人だ

が、面白い人が参加している。現在では「世界のカジ」になってしまったニコリの鍛冶社長である。当時は

「へえ、取締役社長なの?」と笑いあっている。

また後のJAGA三代目会長は、就職が決まっておめでとうなどと言われている。

ゲームは、水道管ゲーム、キャッチ101、オノ99、ギャング、そしてキャンセレーションブラックレディをやって、

面白いと評判をとっている。逆に言えばこのころルールが確定したのである。このときは11人でやっているが、

23年半後の昨日、鍋屋ゲーム会でやったのは、何かの符合だろうか。

#48 1983年2月26日土曜日

9人参加でジャマーとヘックスをやっている。

ヘックスは連結碁、ジャマーは移動連結碁である。ジャマーはMさんという人が考案・製作して市販したものだ。

Mさんにはこの日に来村してインストを頼んだのだが、なぜか欠席。そしてジャマーは、膠着し、引き分けが必至

と判明した。

#49 1983年3月5日土曜日

13人参加で、クラップス、ボストン、マルチプライというダイスゲームオンパレードである。

覚書には川柳がしたためられている。

「来年の 年俸当てに サイを振り」

#50 1983年3月12日土曜日 午後7時~9時

この会は私は欠席している。初めてのことかも知れない。A桐さん担当で、クロッシングとネットワークをやっている。

参加は7人で、インスピレーション以来の会員のK近さんが、久しぶりに来ている。

番外 1983年3月12日土曜日 午後6時半~9時

場所は、大阪の東急イン梅田406号室。参加は10人で、安田均氏も来ている。

オーサー、ファウンデイション、ブラックレディ、キャンセレーションブラックレディをやっている。

5五将棋のK本さんを中心に、大阪なかよし村の立ち上げという話になっている。二度ほど会合は開いたらしいが、

人が集まらなくて立ち消えとなった。大阪JAGAを10年ほど遡るのだろうか。

この日の昼、私達夫婦は、滴翠美術館で、たった一枚残る天正カルタの実物を見、松田道弘氏にも初めて会った。

また翌日は雨の中、南蛮美術館を訪れ、天正カルタの版木を見たのであった。

#51 1983年3月19日土曜日

11人参加。ウンスンカルタをやっている。プレイシングスの店長が五万円のウンスンカルタを持参。もちろんそれは

鑑賞だけ。この回は私の弟も参加している。まだ慶応の学生なのかな?

#52 1983年3月26日土曜日

13人参加で、なんとダンジョン&ドラゴンをやっている。日本におけるD&Dのプレイとしては早い方と思うがどうだろう。

こうして、なかよし村とゲームの木、なかよし元年は暮れた。

なかよし村の25年 その14

芸夢通信の方を見てみよう。

通巻11号に当たる、なかよし元年2月号(1983年2月5日発行)のゲーム紹介⑩は、最近ちょっと話題になってい

る「カリプソ」である。パーソナルトランプ、つまり「自分の切り札」という概念は面白い。トランプ四組と言うデッキも

また凄い。

フェアリーゲームを紹介する幻想の国だより③は、フェアリーギャモンを紹介している。

まずダブルエイト、双八である。その他のダイスの使用例も出ている。

それからトリプレット。ダイスを三つ使うバックギャモンだ。

そしてヘルプギャモン。これはヘルプメイトのように、相手の駒も動かすルールである。

セルフギャモン。ヘルプギャモンはまず自分の駒を動かしてから相手の駒を動かしたが、こちらは順番を問わない。

相手をブロットにしておいてからヒットするようなこともできる。やってみると分かるが、あまりに自由度が高くて面白

くない。ヘルプギャモンのルールのよさを保障する形になった。

最後にプレシュート。相手の出目を見てからムーヴするというルールで、最初から完成形のルールを発想したこと

がうかがえる。

今に続くフェアリーギャモンのルーツがわかって、誠に興味深い。

論説は「物語られたトランプ」の2。尤もこの回は、1の訂正や補足になっている。

続く3月号は、巻頭が「歴史は遊ぶ⑪」で政治は遊ぶシリーズになっている。囲碁編ということで、明治の政治的

指導者の囲碁への関わりが述べられている。

ゲーム紹介は、五連棋である。五連棋というのは、倉敷の平野さんという人の考案で、「二抜き連珠」のバリエー

ションのようなゲームである。相違点は「三抜き」ができ、また抜き方は選択でき、あくまでも五連を作るのが目的と

いうものである。

物語られたトランプ③は、欧米崇拝に対する批判を述べている。どの程度当たっているかは読者に尋ねてみたいも

の、と言えるだろう。

この号では、プロブレムルーム(当然①)が創設されている。第1回は詰め京都ミニ将棋の問題4題があがっている。

ブリッジインマリネラも第4話である。

会計報告があって、初年度の終了が告知されている。

では、なかよし2年の例会を追ってみよう。

#53は、1983年4月2日でカウンターブラフの予定であったが、五人しか来なくて、ルトゥルックとなった。ただしペア

戦という珍しいゲームをしている。

先日の三人もそうだが、例会参加者の固定化と減少が進み、それなりの苦難の時代ということになる。

#54は、4月9日。この日は12人参加で、なんとペイシェンス(トランブの一人遊び)をやっている。

一人遊びをみんなで集まってやるというのは、珍しいに違いない。やったのは、クロンダイク、ユーコンリバー、オール

ドラングザイン、リレー、エレベーター、ほか名称不明2種であった。

#55は16日。12人参加でオンブルとクロスワードをやった。

この回に、バックギャモン協会のKさんや、作曲家のすぎやまこういちさんが、参加している。つまり彼らも、なかよし

村の村民なのだ。

オンブルは、伝統的な三人トランプゲーム。クロスワードとは、与えられた枠に早い者勝ちでクロスワードパズルを作

るという凄いゲーム。てらこさんが喜びそう。

#56は23日。12人参加で、神経衰弱とキャンセレーションブラックレディをやっている。神経衰弱ですら、やってみよう

ということで、なかよし村の真骨頂である。でも二度とやらないよ。(笑)

神経衰弱は様々なタイプのものに挑戦し、キャンセレーションは「なかよし村名物」と書かれているので、既に定番に

なっていることが分かる。

#57は30日。12人参加で、オークションブリッジとイージーブリッジをやっている。オークションブリッジは、日本のブリッジ

プレーヤーではやったことがある人が、ほとんど居ないだろう。イージーブリッジは、ショートブリッジの一種。

#58は5月7日、12人参加で、シグマファイルとアクワイヤをやっている。シグマファイルは、なんと手製である。

24年前のアクワイヤは既製品だが、このころよく遊ばれている。

この回、熊本からFさんが参加している。今でも大会というと日本の各地からやってくる、あのFさんだ。なんでも、日本

の各地で大道将棋をやっているらしい。(嘘)

#59は、14日。7人参加で、おはじきと弾棋をやっている。

弾棋というのは、平安時代の碁石でやるおはじきである。傾斜のある特殊な盤を使うので、これを私が自作した。

#60は、1983年5月21日、5人参加で、麻雀とポンジャンをやっている。麻雀は、紙麻雀である。

村では、神経衰弱も、おはじきも、麻雀も、一人遊びまでやっているということが分かるだろう。

なかよし村の25年 その15

#61

1983年5月28日(土)目白ルノアール特別室で、10人参加。

ゲームは花札の「素倒し」と「八」をやっている。

#62

6月4日。象棋、五5将棋、ミニ将棋をやる。参加者は何と三人。苦しい時代であったが、

象棋や5五将棋をやったというアリバイにはなっていますね。

なかよし村25年間1235回に及ぶ例会で、参加者が二人という回が2回、三人という回が

10回ある。二人は#46と#145、で前者は私とA桐氏、後者は私とO合氏の二人で「ゲー

ム会」をやったのである。この#62は、十回もある三人例会の最初の日であり、私とO合

氏とN雲氏の三人で、シンネリと遊んだのであった。

#63

11日。七人参加で、何とあのガンジファをやっている。日本でガンジファが遊ばれたことが、

果たしてそれまでにあっただろうか。

この日、何と第1回エプソン国際ブリッジトーナメントの為に、関西からK谷・M田ペアが

来てくれた。

#64

18日、九人で、バトルシップ、サルボ、鉛筆海戦をやった。鉛筆海戦とは、紙の上に鉛筆を

立てて倒した線で相手の船や飛行機を攻撃する、あれである。

#65

25日、三人、フロッグ、モダンシープスヘッド。いずれもトランプ三人のゲームで丁度よい。

十回ある三人例会の二回目であり、この回は、私・O合氏・M田氏の、三人だった。

#66

7月2日。十人で、コントラクトブリッジをやった。この月は、ブリッジ月間ということで、ブリッジ

を続けた。三回以上同じゲームをやったのは、最初で最後と思う。

#67

7月9日。12人で、コントラクトブリッジをやった。ラバーを3テーブルでやっている。

#68

16日、14人で、コントラクトブリッジをやった。チーム戦をやっている。

#69

23日。12人で、コントラクトブリッジをやった。チーム戦とショートを組み合わせている。

#70

30日。11人参加で、八とシープスヘッドをやった。

#71

8月6日。11人で、マスターマインドとヒット&ブローとブラックボックスをやった。

#72

13日、七人で、カブとキンゴ。日本のギャンブルゲームもしっかりやっているのである。

#73

20日、12人でレイルウェイライヴァルの東京版をやっている。東京版はもちろんO合氏の

自作で、後の大阪バロンやらウラワイヤーへつながる発想だったと思う。

#74

27日、13人で、クァドロギャモンとクァドラギャモンに挑戦している。担当はプレイシングス

店長。両方とも四人用バックギャモンの既製品だが、多人数フェアリーの難しさがよく分かった。

#75

9月3日、11人でカラブラセラとトリセットをやった。両方ともイタリアのトランプ、即ち40枚セット

のイタリアンパック(文献にはスパニッシュパックと出て来る)で、頑張ってやっている。この

時期、イタリアンパックが遊ばれたのも、珍しいと思う。尤も今でも珍しいかも。

#76

10日、11人でアグレッションと三角陣取り。両方ともペンシルゲームである。

#77

17日、十人で、オールドメイドと、ファンタンと、ミナジェリー。オールドメイドは、ババ抜き、

ファンタンは七並べ、ミナジェリーはニックネームと呼ばれる、子供向けのトランプゲーム。

よく「例会でババ抜きをやったことがありますか?」などと聞かれるのだが、胸を張って「ある。」

と答えている。このように嘘ではない。もっともやったのはこの1回だけだが。

#78

24日、九人参加。紙相撲の予定であったが、担当者が欠席したので、キャンセレーション

ブラックレディをやった。

#79

10月1日、八人参加で、5スタッドポーカーと、7スタッドポーカーをやった。もちろん村の

現金(£eiという単位の名称はまだ付いていなかったが)を賭けて遊んだものである。

#80

1983年10月8日土曜日。A桐さん担当で、ユーカーとクイントをやっている。参加は九人。

以上、会場は全て目白のルノアールの二階、当時の参加費は「一品オーダー+150円」

(あるいは二品オーダー)であった。言い換えれば、会としての参加費は取っていない。

これは25年間そうである。

なかよし村の25年 その16

では二年目に入った芸夢通信を見ていこう。

1983年4月12日発行の芸夢通信通巻13号は、村長の年頭の言葉で始まっている。 一年目を振り返り、二年目を望むその末尾は「天はゲームの上にゲームをつくらず、ゲームの下にゲームをつくらず」という誠に含蓄の深い言葉で締めくくられている。

歴史は遊ぶは、「政治は遊ぶ」の副題で続き、この回は麻雀編である。広津和郎が報知新聞に連載した小説の『風雨強かるべし』の冒頭は、当時軍国主義に傾斜していく内務省から睨まれて、構想を改めざるを得なくなった。そうは言っても連載中である。そこで、広津は登場人物に延々と麻雀をやらせて時間を稼ぎ、構想を立て直したと言う。

ゲーム紹介は「キャンセレーションブラックレディ」であり、以前の日記「キャンセルしたゲーム」で述べたように、そうは明記していないが、これは半分私の創作であり、その意味で、これは日本初のキャンセレーションブラックレディのルールの明文である。

またプロブレムルームでは、前回出題した「京都ミニ将棋」の回答が五人から寄せられた旨が記されている。

また読者からの論説への反論も載っている。

続く五月号の冒頭は、歴史は遊ぶで「花札は弱者の味方」として、幕末・維新期に、下級武士たちの一部が花札の製作で、文字通り糊口をしのいだ話が記されていて、面白い。

ゲーム紹介は、ミニ象棋である。象棋もフェアリーも超マイナーだったこの時代に、フェアリー象棋の紹介なのだから、これはもう極超マイナーである。案の定、反響は全くなかった。

ブリッジインマリネラは、第五話、プロブレムルームは、バックギャモンの問題が載っている。この時代にバックギャモンのプロブレムは凄いが、これは一種の冗談問題である。

六月号では、歴史は遊ぶは、ソ連のドミノについての他では見られないな報告になっている。題して「恐怖のドミノ理論」。

ゲーム紹介は石蹴りの粋、「雑巾」を詳しく紹介している。恐らくここまできちんと石蹴りのルールを紹介した文献は、それまでも、そしてそれ以降もなかっただろう。それだけに重要な記録だと思う。

ゲームの紹介に「石蹴り」とは「負けた」と北海道から投書が来たほどであるが、詳しく紹介したために、この号は殆ど二つの記事で終わっている。

七月号の歴史は遊ぶは、弾棋の談義として、正倉院の御物に弾棋盤があるという、日本の古典ゲーム弾棋の貴重な紹介になっている。弾棋とは、「ダンギ」または「タギ」と読んで、要するにおはじきなのだが、傾斜のある特殊な盤で行い、独特のルールがある。そのルールに基づいて、なかよし村の例会でも試みられている。これは殆ど省みられない遊びなので、記事も記録も稀有のものであると思う。

近くかの『ゲーム探検隊』の復刻が出るが、そこではこの歴史は遊ぶが多数再録される予定である。こうした貴重な記録が再録されるのだから、誠に喜ばしいことである。

ブリッジインマリネラは第六話、論説はアダルトゲーム研究会の批判が載っている。

プロブレムルームには、五連棋の問題が載っている。こうしたいろいろな範囲のゲームに話が及んでいるのも、芸夢通信ならではと思う。

八月号の歴史は遊ぶは、政治は遊ぶの補遺である。

ゲーム紹介は「花麻雀」が詳しく紹介され、紙面をとっている。ただし、前編であり、花麻雀は、3号にわたって紹介されることになる。

幻想の国だよりは、フェアリーギャモンとして、オープニングギャモン、セレクトダイスが紹介され、今では省みられない「逆ダイス」というルールも出ている。逆ダイスというのは、何とダイスを五箇ずつ振るバックギャモンである。省みられないわけである。・・・でもこれ、変わってて面白そうだから、今度やってみよう!

なかよし村の25年 その17

#81

1983年10月15日土曜、19時~21時、目白ルノアールにて4人参加で、ワルツ、ロダンの泉、ロイヤルゲーム、ナポレオンをやっている。ワルツはマダガスカルのゲーム「ファノロナ」である。ロダンは、味方を跳び越えられるチェッカー、ナポレオンはボードゲームである。

#82

22日、10人参加で、バドミントンをやっている。バドミントンはrkusaba氏の自作ゲームで、二人用カードゲームであり、なかなかよくできている。その後はクク。

#83

29日、6人参加で投扇興をやっている。これは宮脇売扇庵の高いセットを購入してやったもので、我々は東京ではまったくやられていないと思っていた。実際はその前年に東都浅草投扇興保存振興会が発足していて、毎月見番で例会が持たれていたのだが、我々は知る由もなかった。 (しかしこのしばらく後で存在を知り、顔を出してみた。とても気に入って、しばらくは月例会にも出、翌年は伝法院にも行ったと思う。)

このとき綿入れ半纏で群馬から参加したS氏は、みをつくしを出している。

#84

11月5日、7人参加でルーレットをやっている。とにかく何でも一回はやるのである。

#85

12日、7人参加でククとガンガンをやっている。ガンガンは、ポリネシアだかのゲームで、二面賽を2個振(2D2)って、竹串を手に入れるゲームである。これは恐らくどこのゲーム会でもやられたことはないだろう。

#86

19日、9人参加で、和製トランプゲームをやろうということで、豚の尻尾、ページワン、51、をやっている。

#87

26日、8人参加でスカートに挑戦。しっかりジャーマンパックでやっている。

#88

12月3日、6人参加で、輪碁をやっている。輪碁とはヘックス盤で打つ囲碁で、途中「輪」(石で六角形を作る)ができれば勝ちになるアブストラクトボードゲームである。

#89

10日、6人参加でハーゼンペッファー、5C、ジンラミー、ブリッジをしている。

このとき、SF大会でいつも時間新聞を発行している(後に大会委員長も務めたかな?)Mさんが参加している。彼は東キャナル市民の会にも参加し、なかよし村にも参加しているので、毎年市民税と村民税を払っているそうだ。尤も村民税の方は、毎年二千円ずつ取ったのは最初の数年で、その後は無税となっている。

#90

17日、8名参加でフットボールというアブストラクトゲームをやっている。

#91

24日、5人参加で、黒将軍、作戦将棋、サイコ、タクティックをやっている。

黒将軍は軍人将棋のような将棋でトリックスから出ている。作戦将棋はもろ軍人将棋でトミーの製品、サイコも相手の見えない将棋でアノアの製品。タクティックははさみ将棋とチェスとオセロを足して3で割ったようなゲーム。

#92

29日木曜日。土曜日の31日をルノアールが休むので、この日にした模様。9人参加だが、遅刻した二人はできず、ちょうど7人で第二回忘年八八大会をやっている。K嶋さんもこの頃来れば、優勝は簡単だったのに。このときは大場の手役ありで抜けてから四光を作った、収入役のRさんの優勝であった。

#-

1984年1月4日水曜と5日木曜、10人の参加で新年ゲームパーティーをやっている。恐らくこれが第一回だろう。

これには、小田原、京都、熊本、沼津、所沢からも上石神井の我が家へ参加があり、25種類のゲームをやっている。所沢から参加のK谷さんは、後にコンピュータ将棋協会を立ち上げる人である。このときは第1回輪碁日本選手権大会が行われ、発明者のS村さんがみごと優勝している。

#93

7日土曜日、トムソン→ルノアール。何でもやるならアーケードゲームも一度はやろうということで、かつての会場のトムソンでアーケードゲームをやり、それからルノアールでLSIゲームをやる。やったゲームは、オクトリバーシ、グレートエスケープ、オセロ、バックギャモン(学研製)、ゴルフ、パチンコ、スペースコブラ。参加者は7人で、みんな真剣に取り組む。

#94

14日、7人参加でブリッジ、順に抜けていくショートをやっている。

#95

21日、7人参加で、目勝ち、丁半、ククをやっている。ちゃんと丁半賭博もやっているのである。

#96

28日、6人参加で、ブリッジ。

#97

2月4日。6人参加で、宇宙塵の柴野さんから借りた、トライアルバイパイロンというキャラクター的なカードゲームをやる。それから豚の尻尾。

#98

11日、8人でドミノのペアのリーグ戦。あとから第1回ドミノ大会ということにする。優勝はA桐・Y山ペア。

#-

11日、12日日曜と泊りがけで上石神井へ。二次会を記録にとったようなもの。

11名参加で、ブリッジインデュビジュアル戦、ドミノ、ディプロマシー、キャンセレーションブラックレディ、クク、マット、チャージイット、アクワイヤ、黒将軍などをやっている。

#99

18日、10名参加でブリッジ。

#100

1984年2月25日土曜日ルノアール目白、ついになかよし村は第100回の例会を迎えた。

この日は、9名参加で、有名な「兎と亀」をやっている。

なかよし村の25年 その18

では、1984年の例会の様子を続けよう。

#101

1984年3月3日土曜日19:00~21:00、目白ルノアール。

5人の参加で、ピットとスナッホイとテーブルゴルフをやる。テーブルゴルフはダイスゲームで、なかなかよくできている。

#102

3月10日。5人参加でブリッジ。

#103

17日。8人参加でハイロウポーカー。色々な種類のハイロウをやる。

#104

24日。8人でアステロイドをやる。「ロールプレイングゲームとウォーゲームを足して二で割ったようなゲーム。」と書かれている。小惑星上の壊れたコンピュータを、もっとちゃんと壊しに行くというゲーム。

#105

31日。15人参加で、バックギャモンのラウンドロビン戦をやっている。7ラウンド対戦の結果、優勝はI本さん。

#106

4月7日。この日、なかよし村は三年目に入った。

10人参加で、ブリッジとククをやっている。

#107

14日。9人参加で、スナッホイとミルボーン。

#108

21日。7人参加で、賽本引き、丁半、目勝ち、チンチロリンをやる。丁半には、ちゃんと渋つきの壷、十六分の一畳の畳がつき、賽本引きには更に木製の前綱(目札)。チンチロリンは、専用の丼でやる。

#109

28日。7人参加で、ブリッジ。

#110

5月5日。参加者僅か3人。ドーソン、セルゴ、ソクラテス。

この頃が一番苦しい時代かも知れない。現在ではちょっとしたゲーム会でも30人ぐらいはすぐ集まる。なかよし村も第三土曜以外は、一桁になることは珍しい。だがこのころは一桁が当たり前で、しばしば3人、4人ということがあったのである。そのかわりそれを利用して、ソクラテスのようなつまらないゲームを消化することができた。現在の面白いゲームに慣れた人たちには、つまらないゲームはさせられないので、ちょっとアリバイ作り的だが、セルゴのような不評のゲームをやっている。

#111

12日。8人で、ウノ、オノ99、101をやっている。ウノもちゃんと一度はやっているのである。

#112

19日。5人で、ファロとホッゲンハイマー。こういう珍しいギャンブルゲームも実戦している。

#113

26日。3人で何とセブンブリッジ。コントラクトブリッジではない、セブンブリッジ(ラミー)である!

#114

6月2日。6人でバベル。バベルはトランプでするピットですね。

#115

9日。7人でブリッジ。

#116

16日。7人で綾取り。綾取りがゲームかと言われれば、二人綾取りはゲーム的なところはあるものの、厳密に言えばゲームではないだろう。だが、試みてみたのである。蚊、蜻蛉、蝸牛、マスク、落下傘、四段梯子、などを作ったほか、二人綾取りもやった。

#117

23日。6人でブリッジとジンラミー。このとき、H川さんという人が初めて参加した。この人はトミーで障害者用の玩具の開発をしている人で、この日以来の長い付き合いになる。後に我々と点字図書館のコンビで、盲人用のゲームを沢山開発することになるが、このときはまだそれを知る由もない。

#118

30日。6人で、上毛カルタと、レイズザルーフ。上毛カルタは、地方カルタの筆頭である。「鶴舞う形の群馬県」

#119

7月7日。6人で、人生ゲーム。人生ゲームもしっかりやっている。

#120

14日。8人で、ブリッジとゲートボールゲーム。

#121

21日。8人で、五目並べ系統のゲームをたくさんやっている。やったのは、バタンゴ、トリンゴ、コレゴ、スコアフォー、カドリガ、ゴモック、マグネーザー、トライアングル、スポッツ、ミロ、スフィンクス、クリスクロスである。いくつ知ってますか?

綾取りは後にもう一度だけやる。

#122

28日。5人でクヮークスをやっている。

しかしこの日、特筆すべきことは、ここから覚書が、手書きではなくワープロになっていることである。私が今から22年と少し前から、ワープロを使い始めたということなのである。それ以来、現在まで千百号を越える覚書を、全てワープロで打ってきたのだと思うと、感慨ひとしおである。

#123

8月4日。13人で、クク、マルバツ、バツマル、ミューレ、ドラフツ。ミューレというのは、ドイツの三目並べ。ドラフツというのはその立体版である。

参加者の中に、この二月に亡くなった佐々木さんの名もある。この日がなかよし村デビューだったに違いあるまい。

#124

11日。7人参加で綾取り。シパートリーが増えた。

#125

1984年8月18日。9人参加で、ワホワをやっている。ワホワは、中国の古いラミー系ゲームで、当時やっている人は、世界中に一人もいなかったろう。ワホワ牌は手に入らないので、画用紙に印刷した紙牌でプレーした。

歴史的再現ではなかったろうか。

なかよし村の25年 その19

芸夢通信の続きを追ってみよう。

1983年9月3日発行の芸夢通信9月号、通巻18号からの「歴史は遊ぶ」は「言語は遊ぶ」シリーズが始まっている。第一回は「将棋はououshou?」と題してレングァ・ウニヴァルサルの話である。我々はエスペラント語の存在は知っていても、ヴォラピュク語やらノビアル語やらイド語などというのは殆ど知らないだろう。だがヴォラピュク(1879)は「エスペラント(1887)以前に最も成功した人工語」だそうなのだ。そしてここでは、それらを思い切り凌駕するマイナーな人工語、「レングァ・ウニヴァルサル(1845)」による、ゲーム用語が語られているのである。

この号のゲーム紹介は、花麻雀の中編である。花麻雀くらいになると、全部の紹介に三号(実質四号)もかかっている。だが、貴重な記録とも言える。(自分で言うのもなんだが。)

ブリッジインマリネラは、第7話、相変わらず快調である。

プロブレムルームは、五連棋の解答編。

幻想の国だよりは、フェアリーギャモンで、キューブヴァリエーションとして「カウンターダブル」が載っている。これはアイディアは面白いが、あまり成立しそうにないルールではある。とは言え現在のフェアリーギャモン大会でも、採用はされている。

続いて10月号、通巻19号だが、歴史は遊ぶ=言語は遊ぶは、ボアーボム語という超マイナー人工言語を取り上げ、ゲーム用語を考察している。この言語の考案者は、岡本普意識という日本人だそうだ。私の祖先ではないかというような、奇妙なことを考える人ではある。

ゲーム紹介は、花麻雀が予定通り完結している。と言っても細則がいろいろあるので、次号に補遺が出る。

プロブレムルームは、五連棋の補遺。どうやら余詰めの模様である。これはちょっと残念。

幻想の国だよりは、マイルドダブル。これは現在は全く採用されていないが、ダブルゲーミングという「穏やかな」ダブルが後に開発された。その礎になったかも知れない。

またこの号に、山本昭一氏の941手詰めの詰将棋「メタ新世界」が紹介されている。長手数記録では、奥薗氏の新扇詰を破り、橋本氏のミクロコスモスが出るまで、日本一(と言うことは世界一)の座に着いた作品であり、今でも多分歴代第二位なのだろう。

続く11月号は、ついに通巻20号である。

「歴史は遊ぶ」は、「象棋の皇帝」と題して古象棋の話題である。

ゲーム紹介は花麻雀の紹介。細則、罰則、ヴァリエーションなどの補遺となっている。

この号には有澤さんによる、アメリカ東海岸(中西(笑))の、ゲーム「スキットル」が紹介されている。これはよそでの紹介は見たことがない。ラベンスに豚のゲームがあったが、あれを大掛かりにしたような、独楽のゲームである。

この号には第二回忘年八八大会の予告がある。

続いて12月号。通巻は21号。

ゲーム紹介はここでもちょっと話題になった輪碁の紹介である。輪碁は志村さんという方の考案になる第一類の二者完全情報確定有限アブストラクトボードゲーム(ABGⅠ)であり、ヘックス盤を用いる。現在のブロックス・トライアゴンで打てそうである。

なおプロブレムルームも、輪碁となっている。

この号には、5五将棋の実戦譜が載っている。なかなかの熱戦である。

また、上石神井ビューハイツを会場にした第二回ゲーム合宿や、前回もあった第二回忘八会の案内がある。

そして、村民税納入のお知らせもある。年間二千円であった。

明けて1984年1月7日、通巻22号の1月号が発行されている。

この号の「歴史は遊ぶ」は、「さよなら本因坊」と題して藤井レオが囲碁クラブに連載していた漫画の終了を題材にしている。

ゲーム紹介はフットボール(Phutball)という新作の第一類の二者完全情報確定有限アブストラクトボードゲーム(ABGⅠ)が紹介されている。あまり有名ではないが、なかなか面白いよいゲームである。

そして村民税納入のご案内第二弾、忘八会報告、寄り合い統計(例会の記録)が載っている。

続く2月号は、2月4日発行。

「歴史は遊ぶ」は「若紳士たちのフランス土産」と題して「ファロ物語」が始まる。

ゲーム紹介は、豚の尻尾。名前に似合わぬ、簡単で戦略的なトランプゲームである。

必勝法研究室が開かれ、前回紹介のフットボールの研究が二本載っている。

先日第二回が終わったばかりなのに、2月11日に第三回を予告しているのが面白い。

そして、なかよし2年の最終巻、通巻24号の1984年3月号は、3月3日発行。

ゲーム紹介はルトゥルックである。これは二人トランプゲームの傑作で、ダブリングキューブの概念を使った珍しいものである。

ブリッジインマリネラは、第8話。相変わらず大変面白い。

ここでは、ゲーム合宿の報告もなされている。

今、振り返っても、充実した高度な内容と自賛する次第である。これが一部の人にしか知られなかったのは残念ではあるが、こうしたものが作られた事実は永遠に消えないと思っている。

しかし、三年目を迎え、残念ながら会員の更新者は減り、なかよし村も、芸夢通信も、ますます厳しい時代に突入していくのであった。

なかよし村の25年 その20

#126

1984年8月25日土曜日、7人参加で、クリビッジ、ピケット、金メダルへの道(ゴー・フォー・ザ・ゴールド=オリンピックゲーム)をやった。

#127

9月1日、Bancoran氏の手製「レイルウェイライヴァル東京版」のお目見えである。11人参加で、2テーブルに分かれ、楽しく遊べた。今年亡くなられた佐々木さんも親子で見えている。感慨深い。

#128

8日、12人参加で、フォーミュラー1をやっている。評判が良い。名作ですね。トミーのH川さんの名も見える。

#129

15日、13人参加で第2回ドミノ大会。時間制限をしていないらしく、3ラウンドで優勝を決めている。ニコリの社長のKさんは来ると言ってたのに来なかった。きっとどこかで飲んだくれていたに違いあるまい。

佐々木さんとIさんペアが優勝。感慨無量。

#130

22日、8人参加で、鳥さしと、カナスタ。鳥さしは江戸時代の極めて珍しいカードゲーム。ちょっと人狼みたい。カードはMさんの描いてくれた日本でたった一つのもの。

なかよし村の25年 その21

#131

1984年9月29日。この日は私は休んでいる。Ban氏担当でカウンターブラフをやっている。六人参加。プレイシングスで聞いたとかで、Uさんという筑波大学の学生が来村。

#132

10月6日、8人参加。36マジックコース(スイッチボード)は、盤が動く双六。あとボンカース、ホップロードもやっている。

#133

13日、4人。オープンポーカーは、段々自分の手札を見せていくポーカーで、なかなか面白い。

#134

20日、7人。ブリッジとブラックレディ。日本選手権中級で優勝の佐々木さんが、親子で参加している。

#135

27日、11人。クク、なかよしクク、ゴジラクク。写真で作った自作ククカードで遊ぶ。フレンチドレッシングからの参加もあった。

#136

11月3日、8人。佐々木さんは親子三人で参加。オリンピックゲーム、グラス、ブラックレディ。

#137

10日、7人。韓国の花札ゲーム五鳥をプレイ。これはゴーストップの元になったゲームと思う。

#138

17日、8人。勝ち残りゲーム、ダイヤモンドゲーム(チャイニーズチェッカーではない)、ファランクス、ターンアバウト、ブロッケイド、ツイン、はさみ将棋。

#139

24日、14人。グラス。ニコリスタッフが四人も参加。

#140

12月1日、7人。いすり、素倒し。

なかよし村の25年 その22

#141

1984年12月8日 参加者12人 場所は目白ルノアール。

第3回バックギャモン大会。優勝はAさん、準優勝は今は亡き佐々木さん。この回から(?)£666の賞金が出るようになった。

#142

12月15日 参加者7人 やったゲームは、ム・トレレ、ババリアン・カラム、ティクノ・ゲーム、クク。ム・トレレは、ニュージーランドのゲーム。

#143

12月22日 参加者10人 八八

たった10人で第三回忘年八八大会はなされた。村長と村長夫人は、八八のためにわざわざ和服で来た。優勝は少佐さん。

#144

12月29日 参加者5人 寿司麻雀、じゃんけんトーナメント。

#145

1985年1月5日 参加者2人 二人道才

長いなかよし村の歴史で、最低の参加者は2人で、それが今までに2回あった。一回はakagiriさんとチェッカーをやり、もう一回はBancoranさんと道才かるたをやったこの日である。

#146

1月12日 参加者10人 道才かるた 前回ちゃんと出来なかったので、色冠をやめて道才かるたをやった。

#147

1月19日 参加者10人 ドランク、ドンツク、クク。

ドランクは幻のゲームとも幻にしたいゲームとも言われる、酔っ払い双六。ドンツクは黒札でやるも、絵柄がなかなかわからない。

#148

1月26日 参加者10人 ブリッジ、シム、ジンラミー。この頃はニコリの社長がよく来ていた。

#149

2月2日 参加者5人 市りとりゲーム。創作ゲームのはしり。市町村名のカードを尻取り方式に並べる。

#150

2月9日 参加者9人 ステッケムアップ、キャンセレーションブラックレディ。

#151

2月16日 参加者12人 第三回ドミノ大会。優勝は村長・町田ペア。

#152

2月23日 参加者8人 ブラックジャック、七点半、九点半。

#153

3月2日 参加者8人 セポイ、ブリティッシュクロス。両方とも「狐と鵞鳥」系の不平等対戦ゲーム。

#154

3月9日 参加者5人 六百けん、拾紅点、長天。六百けんは、花札のゲーム、ちゃんが。拾紅点は台湾のトランプゲーム。長天は、中国ドミノのゲーム、チェーテン。

#155

3月16日 参加者5人。後に『アジアのカードとカードゲーム』を著すことになるUさんが初参加。北海道からKさんも参加。

ストレート、エンタウラ、ブルックリン。ストレートは海峡という意味で、砂時計のような形の盤でやるチェス。エンタウラは多人数囲碁。ブルックリンは六角チェッカー。

#156

3月23日 参加者5人 ブリッジ。

#157

3月30日 参加者5人 バッタまき、キッタまき。後先に賭ける日本のギャンブルゲーム。

#158

4月6日 参加者7人 フォージャックス、ノートランプ。

#159

4月13日 参加者4人 漢詩かるた、漢字かるた、カンジー博士、野菜かるた。

#160

4月20日 参加者5人 五百ラム。

今のゲーム会より、ずっと変なゲームをやっているような気がしますね。

なかよし村の25年 その23

#161

1985年4月27日 参加者9人。 場所は目白ルノアール、以下同じ。

インサートというギャンブルゲームをやる。破産者続出。

#162

5月4日 参加者8人 やったゲームは、レイルウェイライヴァル'85、五百ラム。

#163

5月11日 参加者7人 コントラクトブリッジ、フォージャックス。

#164

5月18日 参加者5人 ルー、スパイトアンドマリス。ルーはマストフォロー・マストウィン・マストラフでやっている。

#165

5月25日 参加者6人 猪鹿蝶、ミノル、チェーテン。珍しいギャンブルゲームを三つやっている。

#166

6月1日 参加者10人 トリビアル・パスート。日本語版が出たのでやってみる。

#167

6月8日 参加者14人 第四回ドミノ大会。S氏長男・村長ペア優勝。

#168

6月15日 参加者7人 ヴォレー、ピップピップ。ヴォレーは3スートのトリックテイクでセットを作る。ピップピップはトランプ2組のトリックテイクで、マリッジができると切り札が変わる。

#169

6月22日 参加者13人 ビバリーヒルズゲーム、泥棒カード。プレイシングス店長のTさん来訪。

#170

6月29日 参加者7人 コントラクトブリッジ。故 花沢正純氏が見えている。

#171

7月6日 参加者7人 第四回バックギャモン大会。優勝はS氏次男。

#172

7月13日 参加者5人 ドメモ、キャンセレーションクク、マット。ドメモはラベンスバーガーの前身オットーマイヤー社のゲーム。本邦初公開? あとはフェアリーククをやっている。

#173

7月20日 参加者3人 源氏絵合わせかるた、十二支合わせ、ドメモ。源氏絵合わせかるたは、百年ぶりぐらいのプレーかも。

#174

7月27日 参加者7人 H夫妻が参加している。 やったゲームはマフィア。Aさんがフランス語から翻訳した本邦初公開のゲーム。

#175

8月3日 参加者7人。 蝦蟹魚、ネーメン、市場の商人。

※この後、我々夫婦は初めての人吉旅行に行っている。

#176

8月10日 参加者9人 うんすんかるた(八人メリ)。

#177

8月24日 参加者6人 シャンチー、チャンギー、マックルック、チアット、軍人将棋。 チアットはビルマ将棋、当時はこう呼ばれていた。

#178

8月31日 参加者9人 スカルト。スカルトは、3人でやるイタリアはミラノのタロット(タロッチ)ゲーム。

#179

9月7日 参加者10人 コントラクトブリッジ。

#180

9月14日 参加者9人 うんすんかるた(八人メリ)

20回の延べ参加者は148人、一回平均7.4人。ゲームは33種、1回につき1.65種。

なかよし村の25年 その24

#181

1985年9月21日 参加者9人。 場所は目白ルノアール、以下同じ。

マンカラをやる。ワリというシンプルラップゲームと、スンカというマルチプルラップゲーム。

番外だが、この翌日の日曜日、上石神井の我が家に17人集まってゲーム会をやっている。そこには先日亡くなられた花沢正純さんもおられた。時の流れを感じざるを得ない。

#182

9月28日 参加者11人 やったゲームは、市場の商人、クラップス。

#183

10月5日 参加者15人 第五回ドミノ大会。小学生の玄君がM田M子さんと組んで優勝。

#184

10月12日 参加者8人 トリビアルパスート、クク。

#185

10月19日 参加者19人 クク。ちょっと新聞に載ったら19人にもなった。この日、後にJAGAを立ち上げることになるN本さんが、初めて村に参加。

#186

10月26日 参加者21人 ドラゴンマスター、ブラックレディ。この日は後にASGA(アブストラクトゲーム会)を立ち上げるMさんが初めて村へ。

#187

11月2日 参加者16人 コントラクトブリッジ、ブリッジ教室。

#188

11月9日 参加者24人 ドミノ(クインテット)

#189

11月16日 参加者17人 オーサー、ステッケムアップ、日本全国山手線。

#190

11月23日 参加者15人 八八、八八教室。

#191

11月30日 参加者16人 ロイヤルカシノ、パートナーシップカシノ。

#192

12月7日 参加者23人 第六回ドミノ大会。

#193

12月14日 参加者17人 バックギャモン、バックギャモン教室。

ルノアール改装工事のために、これ以降、会場は新宿カトレアに移る。これを以って第二期ルノアール時代は終了することになる。

1981年12月に私にとっての「運命の出会い」になった、ルノアール目白の「特別室」とは、永遠の別れということになった。

#194

12月21日 参加者9人 電話交換機、人名地名、テレパシー。場所は新宿カトレア。以下同じ。

#195

12月28日 参加者13人。 第四回忘年八八大会。

#196

1986年1月4日 参加者10人 オノ、29、じゃんけんトーナメント。何とただのじゃんけんのトーナメントをやっている。藤八拳などは知らなかった。

#197

1月11日 参加者26人 マスターマインド、ヤーツィー。

#198

1月18日 参加者21人 第五回バックギャモン大会。

#199

1月25日 参加者17人 コントラクトブリッジ、ブリッジ教室。

#200

2月1日 参加者15人 ジンラミー、ブラックレディー。

20回の延べ参加者は322人、一回平均16.1人。ゲームは28種、1回につき1.4種。

新聞記事のおかげで前の20回の2倍以上の参加人数となった。

また、会場が目白のルノアールから新宿のカトレアに変更になった。

なかよし村の25年 その25

#201 1986年 2月8日 新宿カトレア 16人参加。ジンラミー大会。

これが、ジンラミー大会の第一回目である。現在なら8ラウンドはできるところを2ラウンドで終了している。ゲームのルールについては問題がなくなったが、まだ試合進行のノウハウは不十分であることが分かる。優勝はA桐氏であった。

#202 2月15日 参加者13人。市場の商人、新型ビンゴ。

#203 2月22日 参加者9人。ブローカー。

#204 3月1日 参加者15人。ウノ、ラックオー。後にJAGA初代会長になるN本氏が担当。

#205 3月8日 参加者20人。チャージイット、ミルボーン。後にいろいろ本を出すU林氏が参加している。

#206 3月15日 参加者14人。ニュービンゴ、トランテカラント。

#207 3月22日 参加者18人。パン。大量にトランプを使うパンを大勢で。

#208 3月29日 参加者12人。コントラクトブリッジ。

#209 4月5日 参加者14人。エカルテ。リーグ戦をやっている。

この日、ついになかよし村も5年目に突入した。

#210 4月12日 参加者9人。ルヌヴォ。フランスのタロットゲーム。マストトップラフ!

#211 4月19日 参加者7人。ピケ(ルビコンピケット)。

#212 4月26日 参加者9人。ペンセン、ニム、シム、ビンゴ、サルボ、アグレッション、スプラウト、フットステップ。 ペンシルゲームの一夜でした。場所はカトレアですが、混んでいたので地下一階でやりました。

#213 5月3日 参加者12人。ピケット。

#214 5月10日 参加者14人。コピットゲーム。

#215 5月17日 参加者13人。場所は代々木会館。スコットランドヤード。

#216 5月24日 参加者8人。場所はカトレア。コントラクトブリッジ。

#217 5月31日 参加者7人。赤犬、インサート。

#218 6月7日 参加者7人。スコポーネ、ファンタン。

#219 6月14日 参加者16人。第7回ドミノ大会。

#220 6月21日 参加者11人。アイソレーション、モーラ。両方とも珍しいゲームであろう。

以上20回の述べ参加者は244人、1回平均12.2人。やったゲームは重複を数えないと、31種、1回平均1.5種。

前回増えた参加者が少し落ち着いて、平均12人程度となった。場所は後にJAGAが立ち上げられる代々木会館で一度だけ行われたが、あとは全て新宿のカトレアで行った。(地下二階。一度だけ地下一階。)

ゲームとしては、ありふれたゲームから余所ではやらない珍しいものまで、何でも一度はやるというなかよし村の面目躍如である。

なかよし村の25年 その26

#221 1986年 6月28日 新宿カトレア 12人参加。レイルウェイ・ライヴァル東京版。バンコラン氏製作の東京版を遊ぶ。

#222 7月5日 参加者10人。ゼッテマ。トランプを65枚使うという変わったゲーム。

#223 7月12日 参加者10人。トリセット、カラブラセラ。いずれも40枚のトランプを使ったイタリアのゲーム。

#224 7月19日 参加者13人。ヤーツィー、トリプルヤーツィー、キスメット、サムズフーリガン、キャミー、スロッツンスポッツ。いずれもダイスゲームでヤーツィーの発展形のようなゲーム。

#225 7月26日 参加者13人。ブリッジ、ブリッジ教室、ジンラミー。

#226 8月2日 参加者17人。イルミナティ、ジンラミー。この日は、鈴木銀一郎さんが来ている。鈴木さんはこの日にやったイルミナティを元に、後に「黒幕」というゲームを作る。

#227 8月9日 参加者11人。第二回ジンラミー大会。優勝はN口さん。

#228 8月16日 参加者12人。ブール、ビッグウィール。恐らく日本で唯一のブール版が登場。

#229 8月23日 参加者10人。キャントストップ、コピットゲーム、ボンカース、シフティー。

#230 8月30日 参加者9人。コンサントレーション、ジレンマゲーム、フットステップ。ゲームの理論で有名な「囚人のジレンマ」を逆にゲームにしたのが、ジレンマゲーム。なかなか面白い。

#231 9月6日 参加者15人。オークションピッチ。イギリスはケント州の古いトランプゲーム。

#232 9月13日 参加者10人。六本木パイレーツ、湘南パイレーツ、キャンセレーションブラックレディ。

#233 9月20日 参加者20人。コントラクトブリッジ。六本木のプレイシングス店長のTさんや、ボードウォーク会長が参加している。

#234 9月27日 参加者18人。rkusaba氏作のスコットランドヤード東京版をやっている。

#235 10月4日 参加者14人。ポーカーのいろいろなバリエイションをやっている。セブンスタッド、ベースボール、ホールデン、ジャッカル、ローボウル、ハイロウポーカー。

#236 10月11日 参加者14人。第6回バックギャモン大会。優勝はN雲氏。

#237 10月18日 参加者10人。カオス、シグマファイル。

#238 10月25日 参加者16人。ゲームブック(ファイティングファンタジー、火吹き山の魔法使い)。みんなでゲームブックをやるという画期的試み。

#239 11月1日 参加者11人。五百ラム。

#240 11月8日 参加者22人。アッパーハンド、マグベス。

以上20回の述べ参加者は267人、1回平均13.4人。やったゲームは重複を数えないと、42種、1回平均2.1種。

参加者が増えて、フォローが大変だった

なかよし村の25年 その27

#241

1986年11月15日 参加者17人。 場所は新宿カトレア、以下同じ。

ブラックレディ、キャンセレイションブラックレディ、めぞん一刻、リッチ&プア、レイジ。この回久保田さんという人が来ているが、ひょっとして・・・

#242

11月22日 参加者13人 コントラクトブリッジ、ブリッジ教室。新しい参加者が増えたので、たびたびブリッジ教室を開いている。

#243

11月29日 参加者14人 じゃんけん(トーナメント戦)、ブラックジャック。 なんと、普通の「じゃんけん」もとりあげている。

#244

12月6日 参加者17人 クラバーヤス。 トランプゲーム、一名クロビオッシュ。

#245

12月13日 参加者20人 野球ゲーム。これはのちに二代目JAGA会長になるOさんの創作ゲーム。この回には、ゲームタコスという、古いゲームサークルから三人参加している。

#246

12月20日 参加者16人 八八、八八教室。忘八会も近いので。

#247

12月27日 参加者24人 八八(第五回忘年八八大会)。盛大に開催。

#248

1月3日 参加者12人 ブリッジ教室 カトレアが突然7時閉店と言い出したので、短時間しかできなかった。なかよし村始まって以来の椿事であった。

#249

1月10日 参加者18人 リスク。あのリスクを3テーブルでプレー! 当時3テーブル同時にやったところは、なかったと思う。

#250

1月17日 参加者16人 ブラックマリア、ドミノハート、ジョーカーハート。アカギリさんの講座のはしり。ブラックレディのバリエーションだが、なかなか面白い。

#251

1月24日 参加者15人 ワーレット。Eさんの創作ゲームだが、市販したとか!!

#252

1月31日 参加者19人 トライオミノ、スタックオミノ。 ドミノの改作版。ゲームソサエティインスピレーション最後の会員にして、後のJAGA四代目会長が担当。

#253

2月7日 参加者16人 コンキャン、ジンラミー。 コンキャンはラミーのご先祖。

#254

2月14日 参加者27人 クインテット(第8回ドミノ大会)。ニコリが社長以下大勢来てくれて、27人!

#255

2月21日 参加者12人 花合わせ、素倒し、こいこい。 花札ゲーム三種。花合わせ(馬鹿っ花)では五光ができる!

#256

2月28日 参加者15人 コントラクトブリッジ、ブリッジ教室。

#257

3月7日 参加者12人 ロシアンボストン。 これはトランプ。

#258

3月14日 参加者21人 ジンラミー(第三回ジンラミー大会)。

#259

3月21日 参加者17人 カルトセサク、ティックタックトゥテンタイムス、メイクシフト。 二人ボードゲーム各種。

#260

3月28日 参加者9人 ポーカー(ファイヴドローポーカー)。 チップを賭けてプレー。

20回の延べ参加者は330人、一回平均16.5人。ゲームは28種、1回につき1.4種。

なかよし村の25年 その28

#261

1987年4月4日 参加者11人。 場所は新宿カトレア、以下同じ。

ソロホイスト。赤桐さんのソロシリーズの二回目で、このあと定例化する。なおこの日から「なかよし6年」に突入。

#262

4月11日 参加者13人 第7回バックギャモン大会。ラウンドロビンで、6ラウンド36ゲーム。優勝はBan氏、2位がrkusaba氏、3位が今は亡き佐々木氏。

#263

4月18日 参加者10人 ふらっと、市場の商人。ふらっとはスラップジャックのような珍しいゲーム。

#264

4月25日 参加者12人 アクワイヤー。5月17日に六本木でモノポリー大会があると予告されている。

#265

5月2日 参加者12人。プレファランス。赤桐さんのソロシリーズ3回目。

#266

5月9日 参加者7人。 グラス。久しぶりにやったと書いてある。

#267

5月16日 参加者9人。 ナポレオン。日本式のナポレオンをきっちりやっている。冒頭にルールの統一をしている。よろめきがある。

#268

5月23日 参加者14人 ブリッジ。

#269

5月30日 参加者7人 象棋(中国将棋)。ルールから勉強しているが、1987年当時の日本の象棋人口は大変少なかったので、画期的だったかも。

#270

6月6日 参加者9人。オンブル。4年ぶりのプレー。赤桐さんのソロシリーズ最終回。

#271

6月13日 参加者14人。第9回ドミノ大会。優勝はK野、Y本ペア。

#272

6月20日 参加者8人。 テネシー、いち。珍しいトランプゲーム。

#273

6月27日 参加者11人。 メイクシフト。三目並べの傑作。

#274

7月4日 参加者9人。 メイト、チャレンジ。メイトは完全情報カードゲーム!

#275

7月11日 参加者9人。 ブリッジ。

#276

7月18日 参加者4人。 フォージャクス、カラブラセラ、ブリッジ。

#277

7月25日 参加者9人。 レイルウェライヴァル東京版。

#278

8月1日 参加者8人。 ブービー。やった人はみなぶっ飛んだ、と書いてある。

#279

8月8日 参加者8人。 タキ、スーパータキ。ボードウォーク会長が担当してくれた。

#280

8月22日 参加者7人。 第8回バックギャモン大会。N雲氏優勝

20回の延べ参加者は193人と、前の二十回と比べて半減。一回平均9.65人。ゲームは23種、1回につき1.15種。

なかよし村の25年 その29

#281

1987年8月22日 参加者9人。 ブービー、ブリッジ。-むら-氏が初めて来ている。(前回(その28)日にちを入れ違えました。前回の日記(15日付け)はこの日の記録です。8月15日の#280は、後ほど「編集」で書き直しておきます。)

#282

8月29日 参加者9人。クラウン&アンカー、蝦蟹魚、狐、八面ダイス。ギャンブルゲームの日なので、ギャンブルゲームを。

#283

9月5日 参加者10人。 パックス。ラミーに似てないゲーム。

#284

9月12日 参加者8人。 ブリッジ、ブービー。

#285

9月19日 参加者9人。ラインズヤブアクション、フォーカス。御大しど・サクソンのアブストラクトボードゲーム。

#286

9月26日 参加者14人。 第4回ジンラミー大会。5ラウンドやって、私の初優勝。

#287

10月3日 参加者9人。 ホットカード。1~48の数字が書かれただけのカードを使って遊ぶゲーム。シンプルだが面白い。

#288

10月10日 参加者14人。 ブリッジ、ホットカード、ブラックレディ、アイスカード、99。アイスカードはホットカードのミゼール。

#289

10月17日 参加者15人。 第10回ドミノ大会。優勝はK野・A桐ペア。

#290

10月24日 参加者9人。ザ・黒幕日本支配。鈴木銀一郎さんデザインのイルミナティ。

#291

10月31日 参加者7人。ブービー、ブリッジ。

#292

11月7日 参加者13人。 アブストラック、クインテット。二人用カードゲーム。相手の手は判明している。

#293

11月14日 参加者7人。 ガラス玉演戯。T永さん考案の二人用アブストラクトゲーム。アバロンに少し似ている。

#294

11月21日 参加者11人。 第9回バックギャモン大会。Ban氏優勝。

#295

11月28日 参加者3人。 ブービー、カラブラセラ。

#296

12月5日 参加者7人。 キャンセレーションブラックレディ。

#297

12月12日 参加者8人。 読み歌留多。江戸時代のゲーム。

#298

12月19日 参加者6人。 闘箋(テジョン)。韓国/朝鮮の古いゲーム。

#299

12月26日 参加者16人。 第六回忘年八八大会。私の優勝。

#280

1月9日 参加者9人。 ブリッジ。

20回の延べ参加者は193人と、前回と同じ。一回平均9.65人。ゲームは21種、1回につき1.05種。

なかよし村の25年 その30

#301 新宿カトレア

1988年1月16日 参加者11人。第五回ジンラミー大会。M田さんが全勝優勝。

#302

1月23日 参加者10人。カブ、ソロ、十五。カブき京カブをやっている。

#303

1月30日 参加者6人。 ルービックマジックストラテジーゲーム。変則3目並べ。リーグ戦をやってボードウォーク会長の優勝。

#304

2月6日 参加者11人。 シープスヘッド(ウェンディッシュ・シャープフコップフ)。スカートの親の様なゲーム。

#305

2月13日 参加者9人。 ブリッジ。チャンギやキングスコートもやられている。

#306

2月20日 参加者10人。 第11回ドミノ大会。

#307

2月27日 参加者9人。 ミューラ。考案者の坂口さんが来て指導。ミューラⅡもやる。

#308

3月5日 参加者5人。 ドッペルコップ。

#309

3月12日 参加者9人。 クロックワイズギャモン。フェアリーギャモンの一つ。これだけで例会をやったのですね。

#310

3月19日 参加者7人。 八八(国際ルール)。だいぶ趣が違うが、こちらの方が古いルールに近い。

#311 新宿カトレア

3月26日 参加者8人。 第10回バックギャモン大会。この回がカトレアでの最後となる。思いがけず長くいついて(2年3ヶ月:118回)、一時期人数が多かったときは逆に助かったが、ゲームのやりやすい環境ではなかった。

#312 目白ルノアール

なかよし7年4月2日 参加者6人。 ブラックレディ。

なかよし村が7年目に入るとともに、会場は再び目白のルノアールに戻ってきた。第三期ルノアール時代の幕開けである。これは、なかよし21年(2002年)6月8日まで実に14年間も続くことになる。

#313

4月9日 参加者13人。 アリスインワンダーランド、ハゲタカの餌食、アンダーカバー。ハゲタカは本邦初公開で、初めは「ホルさんの禿鷹」と呼ばれていた。

#314

4月16日 参加者9人。 第6回ジンラミー大会。

#315

4月23日 参加者9人。 アリスインワンダーランド、オーサー改。

#316

4月30日 参加者7人。 八八。この日が八十八夜だからだが、私は国際ルールをやるために伊東に行っていた。

#317

5月7日 参加者6人。 ティズィチャ。 トランプの3人ゲーム。

#318

5月14日 参加者6人。 ザーガラント、モノポリー。翌日にモノポリーの大会があり、糸井さんが優勝と出ている。なかよし村は団体戦8位だとか。

#319

5月21日 参加者7人。 第12回ドミノ大会。

#320

5月28日 参加者9人。 ブラックレディ、オーサー。

20回の延べ参加人数は、167人、1回平均8.35人。

なかよし村の25年 その31

明日はいよいよゲームマーケットなので、今日はショートバージョンで。

#321 目白ルノアール

1988年6月4日 参加者5人。 エスティメーション。トランプを使った推理ゲーム。

#322

6月11日 参加者4人。 モノポリー。土地の値段は額面の倍。競売なら半分+$10から競るというルール。

#323

6月18日 参加者3人。 バックギャモン(シュエット)。シュエットというのは多人数でやるバックギャモン。

#324

2月25日 参加者7人。 クク。キャンセレーションブラックレディ。

#325

2月13日 参加者9人。 エグゼクティブ・デシジョン。クク。

なかよし村の25年 その32

#326 目白ルノアール

1988年7月9日 参加者8人。ファンタン。ファンタンはチップを使った七並べで、故意のパスはできない。

#327

7月16日 参加者8人。ギャモンのN村さん、後のパズ懇のK内さんが初めて見える。株式売買ゲーム、ブリッジ。

#328

7月23日 参加者3人。 ブービー、カシノ。三人でも楽しくゲームはできるが、流石に淋しい。だがこの辺りが一つの底となって、また参加者が回復していく。

7月30日は休みと予告してあるが、理由は書いてない。

#329

8月6日 参加者7人。 ローリングストーン、ネイヴ。両方ともトランプのゲーム。

#330

8月13日 参加者9人。 てんしょ。「東海のシーラカンス」と言われる古いゲーム。梅が12月、柳が2月などで混乱する。七分役と半役があって更に混乱。でもなんとかプレーできた模様で、それなりに面白かった。

#331

8月20日 参加者11人。 ブリッジとブリッジ教室。

#332

8月27日 参加者6人。 第11回バックギャモン大会。六分の一なので、このころは優勝しやすかった。S木お父さんの優勝。

#333

9月3日 参加者11人。 ドラダ、アンダーカバー、ノイ。

#334

9月10日 参加者12人。 五枚切り札。トランプの変わったゲーム。

#335

9月17日 参加者10人。 プレイボス。

#336

9月24日 参加者8人。 ボヘミアンシュナイダー。トランプの二人ゲームなので、リーグ戦で、S野さん優勝。

ツヴァイファーシュティッヒ。

#337

10月1日 参加者16人。 キャントストップ。なんとキャントストップを4テーブルで!

#338

10月8日 参加者9人。 ルカ。考案者の中邑さん直々のインスト。

#339

10月15日 参加者16人。 ブリッジ。チーム戦を実施。

ところでこのとき、ロンドンでほりあてくんがモノポリー世界チャンピオンになっていたのであった。(#340に書かれている。)

#340

10月22日 参加者11人。 ラビリンス。ブラックレディもやっている。

#341

10月29日 参加者11人。 第7回ジンラミー大会。バンコラン氏優勝。

#342

11月5日 参加者16人。 ノックアウト。これは吉川竹四郎氏考案。リベルシ。こちらが本命で、とても面白い。

#343

11月12日 参加者3人。 三人カナスタ。どういうわけか三人!なので。

#344

11月19日 参加者10人。 ブリッジ。

#345

11月26日 参加者16人。 第13回ドミノ大会。トラヒゲ・バンコランペア優勝。

#346

12月3日 参加者13人。 バラエティー。抱腹絶倒、七転八倒のトランプゲーム。

#347

12月10日 参加者14人。 コズミックエンカウンター。

#348

12月17日 参加者6人。 ブリッジ。ジンラミー。

#349

12月24日 参加者7人。 八八。第7回忘年八八大会。

#350

1989年1月7日 参加者12人。 スコポーネ。

25回の平均、10.2人。

なかよし村の25年 その33

このペースでやっていると、「25年」の連載が終わる前になかよし村の30周年が来てしまいそうなので、ちょっとペースを上げることにする。

#351 目白ルノアール

1989年1月14日 参加者11人。 カナスタ。今回はしっかり四人プレー。

#352

1月21日 参加11人。 ブリッジ。

#353

1月28日 参加者13人。 第1回ブラックレディ大会。今も続く大会の記念すべき最初の優勝者は、バンコラン氏。

#354

2月4日 参加者12人。 ホブルデホイ。翌週12日、ボードウォークで「たほいや」が生まれる。

#355

2月11日 参加者11人。 マラケッシュ。ハワイのギャンブルゲーム。

#356

2月18日 参加者12人。 ブリッジ。

#357

2月25日 参加者17人。 第12回バックギャモン大会。

#358

3月4日 参加者12人。 オスモシス。

#359

3月11日 参加者11人。 ブラックマンデイ、モンスターメーカー。

#360

3月18日 参加者11人。 九星田、スコポーネ、ロイヤルカシノ。

#361

3月25日 参加者12人。 第8回ジンラミー大会。

#362

4月1日 参加者9人。 マニラリャ。スペインのトランプゲーム。

#363

4月8日 参加者14人。 ブリッジ。

#364

4月15日 参加者12人。 加算術策。

#365

4月22日 参加者15人。 第14回ドミノ大会。

#366

4月29日 参加者11人。 チンチョン。スペインのラミー。

#367

5月6日 参加者16人。 チックタックホールデム、アパッチホールデム。ポーカーの変種。

#368

5月13日 参加者18人。 ブリッジ。

#369

5月20日 参加者14人。 スフィンクス、市場の商人。

#370

5月27日 参加者18人。 第2回ブラックレディ大会。トラヒゲ氏優勝。

#371

6月3日 参加者17人。 九星田、新七並べ。中野独王亭氏のゲーム。

#372

6月10日 参加者8人。 ブリッジのチーム戦。

#373

6月17日 参加者13人。 ライヤーズダイス、フォートレス。

#374

6月24日 参加者17人。 第13回バックギャモン大会。N雲氏優勝。

#375

7月1日 参加者12人。 カーロドット、カーロドットアクセレイテッド、ツーツイスト。

なかよし村の25年 その34

#376 目白ルノアール

1989年7月8日 参加者10人。 紙相撲。ゲーム会多しと言えど、紙相撲までやった会は少なかろう。T氏製作の電動土俵にて十力士のリーグ戦。bb親方の擁す軍是関の優勝。

#377

7月15日 参加11人。 クーハンデル。「驢馬来い、驢馬来い。」

#378

7月22日 参加者8人。 第9回ジンラミー大会。優勝者は、静岡のS氏。このころは参加者一桁の大会があったのですね。

#379

7月29日 参加者10人。 ホテル、フライングカーペット、ミッドナイトパーティー。お化けの足が速い!

#380

8月5日 参加者12人。 アンチョビーピザ。オーサーのようなゲーム。H田氏、初参加。8月19日はお休み、とある。

#381

8月12日 参加者11人。 ブリッジ。 カシノ。

#382

8月26日 参加者12人。 第15回ドミノ大会。

#383

9月2日 参加者14人。 ワンサイドブラフ、コンセッション。ギャンブルゲーム。この年から給与は送付でなく、例会出席者に配るように切り替える、とある。

#384

9月9日 参加者11人。 ブリッジ。

#385

9月16日 参加者12人。 天九。

#386

9月23日 参加者12人。 第3回ブラックレディ大会。優勝は後に名人となるY野氏。

#387

9月30日 参加者10人。 ラミーキューブ。

#388

10月7日 参加者10人。 タントニー。うーむ、世の中には面白いゲームがあるものだと、皆を唸らせたゲーム。

#389

10月14日 参加者11人。 ブリッジ。

#390

10月21日 参加者11人。 アベカエサル、ジャングルレンネン、オクトロ、穴の中の小兎。H先生がドイツ語から訳してくれたボードゲーム。

#391

10月28日 参加者13人。 第14回バックギャモン大会。トラヒゲ氏優勝。

#392

11月4日 参加者9人。 牌九、チンチロリン、グリード、ケンドー。ギャンブルゲームです。

#393

11月11日 参加者11人。 ブリッジ。

#394

11月18日 参加者9人。 バザール。シド・サクソンの幻(当時)のゲーム。

#395

11月25日 参加者11人。 第10回ジンラミー大会。トラヒゲ氏連続優勝。

#396

12月2日 参加者10人。 ミニミゼール、キャンセレーションブラックレディ。『ゲーム探検隊』(旧版)刊行!というニュースが書かれている。

#397

12月9日 参加者11人。 ブリッジ、モンスターメーカー、五百ラム。

#398

12月16日 参加者9人。 鹿狩り、ドミノフォートゥー。Bach氏、初登場。

#399

12月23日 参加者18人。 第8回忘年八八大会。H川(夫)氏、昨年に続いて優勝。

#400

1990年1月6日 参加者14人。 シャーク、ベンチャー。

25回の延べ参加者は280人、1回平均11.2人。