ゲームの宇宙論
このようなサイトを作っていただいて、実に光栄です。
せっかくですから私の研究(というほどのものではありませんが)の背景にある考え方、あるいは野望を、一言添えて開設者への謝辞に代えたいと思います。
少々言い古された感もありますが、私は「ゲームは文化だ」と考えております。この場合の「文化」とは、人類が自らの幸せのために自ら工夫、実践した創造物、という意味です。その意味では、人間はその文化に対して神(創造者)である側面があります。すると例えば現在では物理学者と考えられているニュートンが、実は自らの研究を宇宙を創造した神の秘密を解き明かす営為と位置づけた探求者であったように、私はゲームの宇宙の構造を解き明かしたいと願う探求者なのです。つまり私の求めるものは、ゲームのコスモロジーなのです。
ではそれは、具体的にはどのようなことを指すのでしょうか。
ゲームを一つの宇宙と思うのなら、それに対する人類の挑戦には、既に確立された頼もしい方法論があります。それは数学であり、歴史学であり、人類学であり、心理学であり、社会学であり、経済学であり、論理学であり、情報理論であります。すなわち、ある一つのゲームを対象にしても、それを遊ぶことはもちろん(それは常にゲームの第一義です)、その戦略的吟味を深め、数学的構造を解き明かし、歴史的背景を探り、心理的影響を測っていくことで、ゲームの宇宙の探訪とすることができると思うのです。これは一つのゲームを例にしたのですが、世の中には無数のゲームがあるわけで、それらを総体として解析したり、あるいはゲーム会やイベントの研究をしたり、あるいは伝統ゲームの成立や伝承を解析したりすることで、ゲームのコスモロジーへの探求になると信じます。
これらのことは、そうした人類の学問体系の方へも豊穣な影響を与え得ると信じます。例えば古いゲームの歴史を調べることは、ともすれば軍事史、政治史、せいぜい経済史へ傾きがちの偏った歴史学に対し、文化史、庶民史、芸能史といった切り口を与え、歴史学を人間味のある立体的なものに変えていくでしょう。また、確率論や情報理論やいわゆるゲームの理論がゲームの解析の武器になる反面、ゲームの方も多方面の数学に「モデル」を与え、それを深めていることは明らかです。ここに神(いるとすればですが)の被創造物である我々が、神の被創造物である宇宙を解析しなければならない限界を越える鍵があります。すなわち、ゲームの宇宙は本当の宇宙と違って、我々自身が創造主なのですから、その解析や研究が面白くないはずがありません。
このような試みがどの程度成功するかは、これからの皆さんの力によっていると思いますが、私にはもう一つ個人的にしておきたいことがあります。
1960年代や70年代には、こうした我々の試みの先駆者と言えるような人々がいました。例えば田中潤司氏や、丸尾学氏や、菊地忠昭氏などです。私はそうした人たちの謦咳に触れることができたのですが、彼らの歴史は誰がが書き残さなければやがて埋もれて忘れ去られることでしょう。私のゲーム会は歴史的には、現在の若い人たちが楽しく盛り上げているゲーム会と、上記の人々の先駆的なゲーム会とのつなぎ目にあると捉えることができます。従って、どのような形かにしろ、それをここに記して残していきたいと願っています。これは私の身近な小宇宙への探訪でもあります。
さあ、皆さん、ともにゲームの宇宙に飛び立とうではありませんか。
2008年10月3日 草場純