トリックテーキングゲームの強度
この文章は「Trick-taking games Advent Calendar 2015」の12月25日の記事として草場純さんにより書かれたものです。
カレンダーにエントリをお寄せいただきどうもありがとうございました。
トリックテーキングゲームの強度 草場純
1.
「定義を議論し出した時が、そのジャンルの末期症状の始まりである。」とはよく言われることだが、
避けても通れないので、初めにトリックテーキングの定義について、ごく軽く触れておく。もとより厳密な
定義ではなく、トリックテーキングと言う以上これは欠かせない要素だなと、とりあえず思いつく点に触れ
てから、本論に入ろうと思う。ただ議論の中心は、トランプやタロット、せいぜいドミノや天九牌、ウンスン
カルタなどの伝統的なものに偏るのは、ご容赦願いたい。
私の思うトリックテーキングの本質は、広い意味のマストフォローである。ここで「広い意味」というのは、
例えばメイフォローも(広い意味の)マストフォローの一種である、といった用法の「広い意味」だ。で、ここで
いうメイフォローは、単にフォローしてもしなくてもいい、という意味だけのメイではない。もちろんメイフォロー
だからフォローしてもしなくてもいいのだが、肝心なのは(それでも)フォローしなければ勝てないという一点に
ある。すなわち勝つためにはフォローという選択をしなければならないという点が、重要なのだ。
ここで考えるべきは、「フォローの強制力」の強さである。狭い意味のマストフォローと、ここでいうメイフォロー
の違いは、「必ずリードスートをフォローしなければならない」のか「リードスートをフォローしなくてもいいが、
それでは勝てない」のかの差であって、フォローにある種の強制力があることは共通していると、広く考える
のがポイントとなる。
こうした広い意味でのマストフォローを考えたときに、定義の次の段階の試金石あるいはリトマス紙になるのが、
ワンスートカードだと思う。
どうだろうか、貴方の定義では1つしかスートしかないカードで、トリックテーキングは成立するのだろうか?
ご承知のようにトランプには4つのスートがある。この4はマジックナンバーで、私の経験ではトリックテーキング
ゲームのスートは4つが最も面白い。尤もこれは私の主観であって、それで誰かを説得しようと思っているわけ
ではない。実際面白いゲームのたくさんあるタロットゲームではスートは5と考えてよさそうだし、ウンスンカルタは
純粋に5スートだ。スンクンカルタや、その昔売られていたソネットは6スートであるし、ドミノでは7スート、あるいは
8スートのトリックテーキングゲームがよく遊ばれる。セドマはスートが8つあると考えられるし、ガンジハに至っては
スートは10、乃至12である。
逆に少ない方は、3スートは新しいカードゲームではいくつも見られるし、伝統的なトランプゲームでも、例えば
フィプセンは3スートと言ってよいだろう。さらに2スートとなると、打天九がそうだし、ククカードの遊びにもいくつか
ある。これらをトリックテーキングと言うのに、それほど異論はないのではないか。では1スートではどうだろうか。
例えば同じく天九牌のゲーム、鹿狩りは「1スートのトリックテーキングゲーム」と言ってもいい趣だが、果たして
これはトリックテーキングゲームなのだろうか。 五本の胡瓜はどうだろうか。
2.
これは私の感じ方にすぎないのだが、私は、1スートではトリックテーキングは成立しない、言い換えれば、1スート
ではトリックテーキングゲームとは言えないと考える。もちろんそれは、私の考えるトリックテーキングの枠には入らない
と言うのにすぎず、違う定義、違う感じ方もいくらでもあり得るとは思う。だがそれを承知で敢えて繰り返すのだが、
1スートでは、私にはトリックテーキングとは感じられない。
例えば鹿狩りは、4人が反時計回りにカードを1枚ずつ順に出し、最も強いものが勝つ。それは1巡4プレイを1単位と
して区切られ(つまりトリックだ)、その単位ごとに勝敗を決め、勝者がその単位に出されたカードを全て獲得する。ただし
それは手札には戻らず、獲得されたものとして別枠にされ、したがって手札は1巡ごとに全員から1枚ずつ減っていく。
そして次の1単位でリードするのは、前の単位で勝ったプレーヤーである。とまあ、これはもうほとんどトリックテーキング
ゲームそのものではあるが、鹿狩りにはスートと言うべきものがないのである。ただしこれも考え方によっては、スートが
1つしかなく、全員それをフォローするのだからマストフォローだと、言えなくもない。実際ありふれた(標準的と考えられる)
トリックテーキングゲームであっても、終盤にはみんなの手札も減って、事実上1スート状態になることはいくらでもある。
だからと言って、そこで突然トリックテーキングでなくなるわけではない。たしかにそれはそうであるけれども、私は次の様に
感じて、初めから1スートしかない場合は、トリックテーキングとは言いたくないのである。
通常のカードゲームでは、手番に手札から1枚プレーするときは、自由に選択できるのが普通である。ただしマストフォロー
のトリックテーキングゲームでは、必ずしもそうはいかない。たとえばこの手のゲームで、
がリードされ、手札にとの両方がある場合、必ず
でなくを選択して出さなければならない。すなわちこれがマストフォローだが、本来自由に選択できるはずの
とから、を選択することを「強制」されるわけである。この強制された選択が、トリックテークに必須であることはお分かりであろう。
3.
「ル・コントラ」というフランスのタロットカードゲームがある。いわゆる大アルカナのみを使ったオーヘルという、
なかなかの代物だ。形式はトリックテーキングなのだが、大アルカナしか使わないので当然ワンスートであり、
私の感覚ではギリギリでトリックテーキングではない。勝つためにはランクを選ばなければならないのだが、
それは強制されたものではない。私の感覚では、ここで失われている強制(マスト)感こそが、トリックテーキングの
核なのである。
そうした軸から考えると、数多くのトリックテーキングゲームが、強制力の強さを以て一次元的に分類できそうである。
つまり、ストリクトなトリックテーキングから、ルーズなトリックテーキングまでのスペクトルが想定できる。それは
マストフォローの強さによる分類という事だが、必ずしも狭義のマストフォローゲームだけではないので、
ここに「トリックテーキングゲームの強度」と題したわけである。
仮にここで、コントラクトブリッジやオークションブリッジのようなゲームのフォローのルールを、一つの基準と
してみよう。これらは(ノートランプの状態もあり得るが)切り札があり、「リードされたスートが手札に有る限り
それを出さなければならないが、その範囲でどのランクを出しても自由」な、トリック数テーキングゲームだ。
これを標準とすると、より強度の強い(ストリクトな)トリックテーキングゲームの系統に「マストラフ」がある。
多くのタロットゲームがそうだが、古いトランプゲームにも時々見られる。ここで忘れてはならないことは、
マストラフで普通に用いられているのは、「フォローできないときに限って、必ず切り札でラフする」という
強制の形であると言う点だ。つまり、マストフォロー>マストラフ という優先順序が厳として存在している。
その意味でも「強い」マストフォローと言えなくもない。(余談だが、あまり例は思いつかないが、ここを逆転した
ルールも考えられそうだ。つまりサイドスートをリードされたら必ず切る。切り札がない時に限ってマストフォロー。
面白いのか?)
さてマストラフの標準的なルールにも、更に細かい強制力の差異がある。例えばマストウィンの問題だ。
マストウィンルールは、単なる(マストフォローだけの)トリックテーキングゲームでも考えられるが、
それほど例が多くない(面白いことにワンスートゲームには沢山ある)ので、マストラフに限ってみると、
これもタロットのゲームにはたくさんある。それが、「リードされたスートがないときは、必ず切る。
前の人が切った場合は、必ずオーバーラフする」というルールだ。ではオーバーラフできないときは
どうするかと言うと、そこで二通りに分かれる。より強い(ストリクトな)ルールでは、アンダーラフを強制される。
弱い(ルーズな)ルールでは、「その場合は捨て札も出来る」。すなわち、こうした細かな「強制」力のグラデーションが
あるわけだ。
では、更に「強い」ルールを探ってみよう。
昔、やはりフランスのタロットゲームで「ル・ヌヴォ」というのをやった時は驚いた。マストフォロー・マストラフまでは
いいのだが、何とマストトップラフなのである。つまりリードされたスートがない時は、切り札で、それも持っているうちの
最も強い切り札で切らなければならない、という驚くべきルールであった。(より強い切り札がない時はアンダーラフ
しなければならないのだが、その場合は任意の弱さの切り札を出してよい。)
初め、こんなのゲームになるかと思ったが、やってみると、「相手のヴォイドのスートをリードすることによってその人の
最も強い切り札を吐き出させ、手持ちの中位の切り札を昇格させる」というテクニックがあることが分かり、これはこれで
とても面白かった。いやいや、トリックテーキングゲームは奥が深い。
さて、まだまだいろいろなヴァリエーションがあるが、切りがないので、次はブリッジより強制力の弱い方を考察してみよう。
4.
狭義のマストフォローより弱い強制力を持つものにメイフォローがあるが、メイフォローも『フォローしないと勝てない』
という意味では広義のマストフォローのうちにあると私が考えているのは、前述した通りである。そして
この両者の間にも、さまざまなグラデーションがある。
例えば、「メイフォロー時々マストフォロー」なんていうトリックテーキングゲームもある。例えばウンスンカルタが
そうで、普段はメイフォローなのだが、メリ(切り札(え)がリードされた場合)と、モンチ(メリの後のトリック)は、
マストフォローになる。ただこの場合も切り札は例外となる(いつでも切れる)。
切り札が例外のマストフォローは、ウンスンカルタより少し強いトリックテーキングゲームにもよくある。
例えばオークションピッチは、マストフォローなのだが、切り札だけはいつでも出せる。これを「メイラフ」と
名付ける向きもあるが、これは「フォローできても切ってよい」という意味にもとれるが、標準ルールのような
「フォローできないときには切っても切らなくてもよい」(つまりマストラフではない)という意味にもとれるので、
使用は避けた方がよいだろう。
もう少し強めの、つまり標準ルールよりちょっと弱いだけのトリックテーキングゲームに、例外カードの存在がある。
つまり「マストフォローなのだが、それに従わなくていいカードが少数ある」というもので、代表的なものに
ジョーカーがある。例えばゴニンカンのババ(ジョーカー)は、原則としていつ出してもよい最強のカードである。
日本式ナポレオンのジョーカーは、そこまで強くないがよく似ている。これがタロットのスキュース(愚者)や、
ユーカーのスーパーパワー(ジョーカー)になると、最強の切り札に変身する(切り札のスートとして扱う)。
すなわち例外でなくなるので、よりマストフォローの強度が増すのだ。
一方古いタロットゲームの「愚者」はエクスキュース(逃げ札)で、マストフォローの完全な例外カードである。
つまり、全く任意にいつでも出してよい。ただし最弱と見做される。面白いのはこうしたエクスキューズ自身を
リードした時で、殆どのゲームで、次の手番の人がリードする形になる。また、エクスキューズ自身は最も弱いので
人に取られるルールもあるが、特に古いルールでは使った人の手元に戻ることが多い。
もう少しこの例外カードを多くすれば、トリックテーキングゲームの強度としては弱まることになるだろう。
ナポレオンのローカルルールで、ジョーカー(弱い)に加えて
Aも、マストフォローに縛られない最強のカード「オールマイティ」になるというものもある(リードしたら
)。またエクストラジョーカーを加えて、ジョーカーを2枚にするローカルルールもある。ウィザードという一種のトランプゲームと言ってよいカードゲームでは、
ジェスター(弱い)とウィザード(強い)という例外カードが合計8枚も入っていて、マストフォロー感を弱めている。
例えばKは、なかなかエスタブリッシュしない。
細かく考えれば、まださまざまな変種・亜種が考えられるが、とりあえずここまでにして、そろそろ纏めよう。
一口にトリックテーキングゲームと言っても、さまざまな種類があり、特に伝統的なものは、「マストフォロー
ルールの強制力の程度」という物差しで、一元的に順番がつけられるというのが、ここでの私の主張である。
試しに、強制力の強い順に大まかに並べると、
(強)マストトップラフ>マストラフ>標準マストフォロー>例外付きマストフォロー>メイフォロー>非トリックテーキングゲーム(弱)
ということになろう。もちろん断るまでもないが、これは面白さとは無関係の順である。
ではこうした尺度が何の役に立つかと言うと、まずトリックテーキングゲームの分類の基準として使えるだろう。
またこれは、新しくトリックテーキングゲームを覚えるときに、ルールを把握する目安になるだろう。また更にトリック
テーキングゲームを創作するときにも、そのヒントになるだろう。そしてトリックテーキングゲームの歴史を考察する
ときにも、きっと役に立つであろう。あなたもこれからは、強度を自覚しつつ、トリックテーキングを楽しんでみては
いかがだろうか。(完)