日本におけるディクショナリー小史
日本におけるディクショナリー小史:草場 純 (転載:93/10/05FGAMEより)
ディクショナリーというゲームは、イギリスの家庭ゲームであったそうである。
テレビ番組に採用されて評判になったと聞くが、現在の「たほいや」の役割を連想し
て面白い。
ディクショナリーを初めて考えた人は偉大である。しかし今となっては、だれだ
かは既に謎であろう。しかも私の興味はそこにはない。分かればもちろん嬉しいが、
私が調べて分かるなら私以外の人でも調べはつくだろうし、私以外の人が調べて分
からないなら、私が調べても分かるまい。私はここで私にしか書けないことを書く
べきだと思う。それは小さな歴史の記録でもあるし、また日本に外国のゲームがど
のように受容され、広まって行くのかのサンプルであるかも知れないのだ。このよ
うないきさつは、ディクショナリーの発祥そのもののように、後から調べても調べ
がつくものではない。ささやかな記録ではあるが、ここに書き残しておくことで、
後からの研究者の資料となれば、これに卓る喜びはない。
そもそもの発端は1984年にある。
ディクショナリーを日本に紹介した最初の人は、多くの他の外国のゲームがそう
であるように、松田道弘氏である。
1984年に、エリザベス・シーモアという人が「HOBBLE DE HOY!」という本を発行し
た。たぶんイギリスの本だと思うが、アメリカかも知れない。本棚のどこかにある
が、探すのが面倒なので、REがあれば探すことにする。この『ホブルデホイ』が
どんな本かと言うと、ディクショナリー用ディクショナリーなのである。つまり、
ゲームの「ディクショナリー」を楽しむための「辞書」なのである。見ると出題の
ための妙な単語がズラズラと並んでいる。Tabiという単語もある。意味は「日
本の婦人が履く絹のストッキング」だそうである。まあ絹とは限らんだろうが、出
題されたら英語圏の人からのクレームはつくまい。今たしかTBS出版かどこから
か『たほいや』という、「ゲームたほいやのための辞書」が出ているが、ちょうど
その英語版なのである。
同じ1984年に松田道弘氏は、毎日新聞の夕刊に、たしか毎週木曜日だったと思う
が、ゲームの紹介のコラムを持ち、ここでディクショナリーを紹介している。多分
これが嚆矢であろう。松田氏は、1987年にそのコラムをまとめた文庫本『おもしろ
ゲーム実戦本』を出している。もちろん、ここにもディクショナリーが出ている。(
後の別の著書でも触れていたと思う) ここで大切なのは、松田氏は外国のゲームを
紹介しつつも、これが日本語でもできるとは一言も言っていない点である。ここに
語学の堪能な人の陥穽があると思うのだが、今は先へ進もう。
さて1988年に外国を旅行した なかよし村の村民、M田氏は、ゲームの好きな
私のために上記『ホブルデホイ』を買って来てくれた。M田氏は、昔からの村民(会
員)で、確かパズルの雑誌ニコリでなかよし村を知ったのだったと思う。このお土産
を読んで面白いとは思ったが、それ以上の感興はわかなかった。ところが、次にそ
れを読んだM子氏は、「これ広辞苑でもできるじゃない。」と言ったのであった。
多分1988年12月のことである。今から考えれば、
ディクショナリーを日本語の辞書でやれば、日本語のディクショナリーゲームがで
きるのは当たり前であるが、それはコロンブスの卵。最初に着想したのはやはり凄
いと思う。しかし二人でできるゲームではない。舞台は池袋へ移る。
明けて1989年1月14日、なかよし村の例会の後、草場・M田・A桐夫妻で、池袋
のH川夫妻の家へ行った。そこでM子氏の訳してくれたルールで、広辞苑を使っ
て多分日本で最初のディクショナリー(そのときはホブルデホイと呼んでいた)が行
われた。記念すべき出題第1号は「よしわらすずめ」であった。以下、H川氏の
「内宮と外宮の間にある・・・」というもっともらしい説明にみんなが引っ掛か
ったり、「ばんあ」という出題に、みんながゴチャゴチャと辞書らしい文言を連ね
る中にあって、A桐氏が一言「こたつ」と書いたのに、私がまんまと引っ掛かった
り、爆笑の連続であった。こうして日本語ディクショナリーは確立した。
1989年2月4日、ゲーム会「なかよし村とゲームの木」の例会で、ディクショナ
リーは初プレイをされた。参加者は、N曇、草場、K野、S野、I崎、K嶋、
K村、H川夫妻、F井夫妻の12名で、優勝はS野氏であった。お題は、「あおげ
どり」「らいきょうへい」「りゅうしゅ」「ふわや」であった。このころは、「ホ
ブルデホイ」「ホッブルでホイ!」の他に、「乞辞縁」「乞字援」「代言解」「国
語審議会」「コージ苑」(相原コージのコージ苑が読まれていた)などと呼ばれていた。
さて2月12日かあるいは、3月の、ボードウォークコミュニティーの例会で、T橋
氏達に教えた。大受けであったが、特にT橋氏の出題した「たほいや」には、「タ
コとホヤがイヤイヤをすること」とか、「月夜に田んぼで鍬をかつぐときのかけ声
」などというとんでもない回答が出て、みんな涙を流して笑いこけた。これ以降、
ディクショナリーは、ゲーム会ボードウォークコミュニティーの定番になっていっ
た。なかよし村ではあれ以来、一度もやっていないので(二次会では大いにやったが
)、これ以降のディクショナリーはボードウォークが育てたと言ってよいだろう。伝
説の「まおとこほんだ」なども、ここでの出題であった。1991年には、ボードウォ
ークコミュニティーのゲーム大賞を獲得している。またT橋氏は、「ディクショナリ
ー」という本当の名称を調べ、私に教えてくれた。また「ホブルディホイ」が青二
才だとか、一杯食わすという意味であることも調べてくれた。
同じころ、JAGAでも紹介した。もちろんここでも大受けで、多くのファンを
獲得し、定番となっている。JAGAもまたディクショナリーを育てるのに大きく
貢献した。特にK林氏のJAGAMAGAに載せたディクショナリーの紹介文は、
一読の価値がある。
ニコリでも紹介した。ニコリのネーミングは、「国語真偽会」とヒネリがきいて
いる。ニコリの放談会でも盛んにプレイされたようである。
だれが考案したか知らないが、投票にカードを使う方法は良いアイディアで、こ
れでディクショナリーは完成したと言って良いだろう。このあとT橋氏がテレビ用
に「たほいや」ルールを考案した。放映後の歴史は、私の分担ではない。
以上
編集注:文中の実名部分はイニシャルに変更させていただきました。
草場純さんのmixiの日記「日本におけるディクショナリー小史」(2005年11月25日)