掛合トランプ探訪記
草場純さんのmixi日記より(転載)(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=704544719&owner_id=1296441)
掛合トランプ 2008年02月04日
去年の二月、松江に単身赴任していたB.B.さんから、地方新聞の記事を送られてきた。そこに「掛合トランプ」の大会が開催されたという記事が載っていたのだった。
ホームページもあるというので、覗いて見た。驚いたことにそれは「絵取り」であった。
「絵取り」というのは、幻のゲームである。明治時代の古いトランプの本にはよく出てくるのに、やっているのを見たことがない。私は「なんでも一度はやってみよう」主義なので、かつて絵取りをやってみたことがあったが、あまり面白いものではなかった。
その概要を示すと、①トリックテイキングゲームで、②2人対2人のペア戦で、ペアは向かい合い、③AKQJ1098765432という普通のランクで、④AKQJの絵札16枚を取り合い、⑤切り札があり、⑥ビッドはない、というものである。
掛合のルールは、こうした文献的なものと大枠では同じだが、微妙なところが異なるようではある。
しかもホームページの歴史の記述には、愕然とさせられるものがあった。曰く「260年前に長崎から伝わったと伝承されている。」と。それは本当だろうか。現在の定説ではトランプが伝わったのは今までに二度あり、一度目は450年前の戦国時代末期、二度目は140年前の明治期である。そのちょうど中間にゲームが伝わったという伝承は、私には初耳だった。そもそも、その時代としたら一体どんなカードを使用したのだろうか。オランダ加留多だろうか。元になったゲームはどのようなものなのだろうか。
一体どんな様子でやっているかを知りたいと思うとともに、ルールの詳細を知りたかった。ホームページでは、スペードのAを「れんしょ」と呼んで、ゴニンカンのジョーカーのようにいつでも勝つと書いてあるが、これは本当だろうか。そもそも「れんしょ」とは何の意味か。私は「連勝」ではないかと思ったが、たけるべさんは「スペキュレーション」から来ているのではないかと言う。確かに、明治時代のトランプの解説書にはスペードAをそう呼んでいる例が多々ある。
ルール上の疑問点は、とりあえず①切り札はどのように決めるか、②れんしょをリードしたらどうなるか、の二点であった。もちろんカードの配り方やゲームの進め方などは、実際に見てみないと細かいところは分からない。
出かけるための犠牲は大きかった。この土日には、点字図書館ゲーム会、武蔵野ゲーム会、なかよし村、吉祥寺雑学大学、くりすたるダイス、SF乱学講座と六つも会があり、毎月の参加を楽しみにしているものばかりであった。特に点字図書館ゲーム会と、なかよし村は私自身が主催者であるし、SF乱学講座は四次元の話なので是非出席したかった。結局、点字図書館ゲーム会は夜の飛行機で行くことにして出席、なかよし村はN雲君に鍵と覚書を託し、武蔵野ゲーム会、吉祥寺雑学大学、くりすたるダイスは欠席、SF乱学講座は二次回の最後に顔を出すことにした。(雪で飛行機が遅れ、結局顔を出すことすら叶わなかった。)
そうまでして出かけた掛合はどうだったか。結果としては、おつりの出るほどの大収穫であった。
まずルールについての誤解が氷解した。私は主観的には「ルールの詳細が分からない」と思っていたが、そうではなく、誤解していたのである。(言い訳を言わせてもらえれば、ホームページの説明は不十分である。)
理解しなおしたのは、まず①切り札の決め方であり、さらに決定的なのは②れんしょの扱いである。つまり誤解と言っても、どうも怪しいなと感じていた部分ではあり、トリックテーキングの基本には、全く問題がなかった。
結論から述べるなら、
①切り札は原則スペードであり、従ってれんしょはクラブAである。すなわち、スペードAがれんしょに成る方がむしろ例外であって、私は試合では一度もそれを経験しなかった。もう一度ルールとして述べるなら、「特に申し出がなければ、切り札はスペードである。」負けたほうは切り札を変えるよう申し出て変更できるが、一種のゲンかつぎであり、あまり行われない。
②れんしょのクラブAは、クラブのスートである。すなわち、ルールとして最も近いのはナポレオンのオールマイティ(スペードA)であり、ゴニンカンのジョーカーとも、スカートのマタドールとも違う。言うまでもないが、例外的にスペード以外が切り札になれば、スペードAがれんしょになり、これはスペードスートに属し、ますますナポレオンのようである。
更に誤解していたルールがある。
③れんしょと切り札のAの両方を取ってかつ8枚以下しか獲得できなかった場合は、2個の負けになる。すなわち、(普通は)クラブAとスペードAの両方を獲得して、かつ獲得絵札が8枚以下なら2点取られるのである。これはさらに4枚Aを獲得しての8枚以下では4点取られとなる。このルールは、12枚取られの2個負けとは重複しない。(例えば4枚のAのみを取って6個負けなどとはならない。単に4個負けである。)
更に、やってみないと分からないとの印象を強くしたのは、ディールの方法である。詳説しよう。
まず使用されたカードを、休み番の人(あるいは負けた方)が伏せてまぜ、おおよそ半分に分ける。そのそれぞれを二人がそれぞれにシャッフルする。二人の一方がそれを反時計回り(時計回りに配っている人もいた)に一枚ずつ伏せて配り、もう一人はその続きから反時計回り(時計回り)に一枚ずつ配る。
私はこのような配り方をするゲームを、未だかつて見たことがなかった。私にとっては感動的な風景であったが、地元の人には当たり前のことであり、その対比がまた私には感動的であった。「所変われば品変わる」と言うが、あるコミュニティで「当たり前」のことは、他の文化の者には驚異である。カルチャーショックとはすなわち、当たり前のことに対する驚きである。 またクラブAが強いというのは、ウンスンカルタのテンカ(パオのロバイ=クラブA)と同じであり、極めて興味深い。
ゲームの進め方も素晴らしかった。40分時間切りは、とてもすっきりしている。かつ3ペア休み番方式も、一種の勝ち抜きであり、連勝ペアは残りの2ペアと交互に闘うので、連勝してもすぐには終わらない(連勝しているペアの相手は、10個持ち状態になるから)。そもそも1ディールで獲得できるチップは最大4個なので、最低3ディールかかり、1ディールもしないで終わることはあり得ない。
勝って連戦もいいし、負けて一休みもなかなか精神的にいいものがある。
こんなところにも「伝統」の意味がある。つまり時間の中でルールが鍛えられるのである。
では最も肝心なゲームの中身はどうだろうか。
これもとてもいいのである。
ゴニンカのときにスコンクが、ゲームに私の予想以上の味を出していたように、上記のルール③は、良い手札を持った側に強い緊張感を与える。「ウィズ2」で負けるとひどい(2倍負けだ)からである。これは手札の運を減殺させる効果があり、とてもいい。
総じてコントラクトブリッジのテクニックは、修正を余儀なくされる。トップアナーのキャッシュはブリッジでは悪手であることが多いが、掛合トランプでは定石である。パートナーのAに対してKを落とすことはブリッジではありえないが、掛合トランプでは良い手になることも少なくない。(少なくともサイドスートのQやJは、殆ど落とすべきであろう。敵のラフが確実である場合は別だが。)
シュワルツ(16枚取り)は殆ど起きないが、シュナイダー(12枚取り)は、しばしば攻防の焦点になる。ちょうどバックギャモンで、ギャモンセーブが攻防の焦点になるようなものである。また、4エース負けは稀だが、シュワルツよりは起こる。これも故意にAを与えてしまうというようなプレーも考えられて面白い。
結論から言うなら、掛合トランプは、シンプルでかつ面白いゲームである。かくして「絵取り」の謎は解明され、深まった。すなわちなぜ伝わったかは判明し、なぜ掛合以外では滅びたかは不思議となった。
またこれら全てのことは、一日かけてゲーム会に参加したからこそ判明したことばかりである。このこと自身、印象深い。
今回のもう一つの驚きは、この大会が36回目であることである。長く続いたことが驚きではない。口幅ったいようだが、35年間も私が知らなかったことが驚きなのである。なかよし村が始まって27年、私は多くのゲームを渉猟してきた。しかし掛合トランプは、風聞で一、二度聞いたような気はするが、実態は全く掴めていなかった。しかし「伝承」され、「実在」していたのである。これは1992年の愛媛の「僻村」での「くじゅろく」の「発見」や、1970年頃の「うんすんかるた」の人吉盆地での「再発見」に比べれば、見劣りするかも知れないが、大きな「発見」であると思う。(「見劣り」はゲームとして見劣るということではなく、私の発見というほどのことはないという点である。)
今回の収穫、あるいは教訓は大きく次の三つである。
①ゲームは現地でやってみなければ、わからない。
②長く続いたゲームには、それだけの理由がある。(面白い)
③日本のフォークロアとしてのゲームは、いわゆる「田舎」に残り、まだ「発見」されていない可能性がある。
三番目の「田舎」には注釈が必要だろう。もちろん私は「田舎」であることを低く見ているつもりも、高く見ているつもりもない。
温泉地の三沢、漁村の宇出津、盆地の人吉、谷間の掛合、半島の田の浜、山間の中之条(白老)、農村の小松などは「田舎」と表現しても間違いではないかも知れない。しかし投扇興の浅草や、藤八拳の神楽坂は「田舎」とは言えまい。けれどもそれらの間に共通するのは、ゲームを支える何らかのコミュニティがある、ということである。
ゲームは文化であり、文化は人間が作るという当たり前のことが、そこでは息づいている。そうしてゲーム文化は一人では作れない。ゲームを楽しみ、ゲームで結びつく(地域)集団が、そこでは必須なのである。
八雲立つ出雲の地は、かつて小泉八雲が愛した日本のフォークロアの地である。確かに、山間に涌き立つ層雲を抱く緑の森はかすかに上部を雪に飾られて神々しく、湖の向こうに浮かぶなだらかな山々は限りなく美しく、まさしく神話と伝承の地そのものであった。
私は、ゲームをやたら持ち上げたり、伝承を神聖視するようなつもりは毛頭ないが、それでも小さき神々の存在を、ふと感じた旅であった。
(これでは無神論者失格ですな。)
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日記へのコメント(抜粋)
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kubota:
大収穫でしたね。
「れんしょ」のところのルールの確認をさせてください。
「れんしょ」に対してもマストフォローの原則が適用される
ということでオッケーでしょうか?
(「れんしょ」はリードされたスートが切れていなくては出すことはできないしまた「れんしょ」のスートがリードされたら「れんしょ」しかない場合でも「れんしょ」を出さないとならない)
ホームページ
>雲南研究室の
>「れんしょ」はいつでも出すことが出来ます。
という説明が実際とは違っていたということですね。
あー、そうか
>ホームページの説明は不十分である。
>「れんしょ」は(マストフォローの原則に従えば)いつでも出すことが出来ます。
という意で解釈すればよかったのですかね。
ホームページの人はゲームの専門家ではないですからねー。
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草場純:
コロンブスやマゼランではありませんが、「発見」するということは「発見された」側から見ると、どうかなということがあります。ですから、分かりやすいように日記には「発見」と書きましたが、私自身は「面白いゲームを教わりに行った」と考えています。とは言え、いままで多くの人には知られていなかったので、「みつけた!」という感慨は一入です。大きく流行するようなものではないと思いますが、せっかくですから多くの人にこの楽しみを知られるよう努力したいです。そのことが、親切に面白いゲームを教えてくださった掛合の皆さんへの、恩返しになると思っています。
>kubotaさん
その通りです。れんしょもマストフォローの原則に従います。
れんしょをクラブAとすると、
①れんしょがリードされたら、手札にある限りみんなクラブを出します。
②例えばハートがリードされたとき、手にハートがあればれんしょは出せません。
③クラブがリードされたら、れんしょを出すことができます。ただし他のクラブのカードを出してもかまいません。
④クラブがリードでれんしょ以外にクラブを持っていないときは、必ずれんしょを出します。
⑤例えばハートがリードされたとき、ハートがなければれんしょを出すこともできます。しかし他のカードを出してもかまいません。
⑥れんしょが出されたトリックでは、れんしょが必ず勝ちます。
雲南研究所の説明は、従って誤りということになります。
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佐野まさみ:
一時期日本でトリックテイキングの紹介がされたとき、「(ブリッジで言う)ヴォイドがあった場合、配りなおし請求が出来る」ルールがある競技があったと聞いています。掛合トランプはどうでしたか?
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草場純:
掛合トランプでは、ヴォイドは「初切れ」と言い、スペード以外なら良い手です。エースのオープニングリードが一般的ですので、うまくすればいきなりラフができ、更にパートナーが勝っているときQやJを捨てにいけます。従って配り直しなどはとんでもなく、そのようなルールもありません。
なお、シングルトンは「一枚持ち」と言います。
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たけるべ:
「不思議だのぉ」
「え? 何がですか?」
「こして、すぐ来て、すぐ一緒にやってるんだもんな」
「ああ、昨日、一昨日と練習しましたから」
「打ち方、同じだのか?」
「ええと……」
地元のかたとの会話です。
本当は、2日練習したぐらいでは、こうはならないでしょう。
ぼくら4人は、普段からトリックテイキングに馴れているので。
でも、そこまで説明して理解して貰うのは非常に難しいため、以上のような受け答えで、終えました。
外部からオファーがあったのは、今回初めてということで、ぼくらのことは「何が来るのか?」最初非常に疑っておられました。しかし、ちょっとぼくらのプレイを見て「ああ。できてる」ということになり、2回戦から参加させてもらえることになりました。
ともかく、色んな意味で収穫でした。
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kubota:
技量が認められ、無事大会に参加できて良かったです。
折角出向いたのに危ないところでしたね(笑)?
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草場純:
>kubotaさん、たけるべさん
ここのところは示唆的です。
恐らく掛合の人は、我々がうまくプレーできないだろうと考えたのだと思います。それは理由のないことではなく、掛合トランプがトリックテーキングゲームだからでしょう。トリックテーキングゲームは、知らない人には大変入りにくく、その機微を理解させるのが難しいシステムです。ここが、掛合以外には広がりにくかった理由だと思われます。地元の方が「不思議」に思ったのは、掛合以外の人に教えるのが難しかった体験があるからでしょう。
ゴニンカンが津軽 ―広く見ても青森― から外へ出にくい理由でもあります。これはウンスンカルタにも通じます。
トリックテーキングのジャンルも、純粋なトリックテーキングと、ポイントテーキングに分かれます。ウンスンカルタはトリックテーキングですが、マストフォローの強制力が弱いので、純粋のとは言い切れないかも知れません。
スカートやヤスは、ポイントテーキングですが、日本のナポレオンやゴニンカンや掛合トランプは、純粋のポイントテーキングとは言い切れないかも知れません。むしろカードテーキング(あるいはピクチャーカードテーキング)と呼ぶべきかも知れません。それは絵札が1枚1点と考えればポイントテーキングなのですが、スカートなどの感覚と相当ズレがあるからです。
掛合トランプや、ゴニンカンでは、Jが重要なカードです。取ってしまえばJも1枚、Aも1枚で、等価になるからです。スカートではJは4枚取っても10に匹敵しませんし、Qを4枚取ってやっとA1枚に勝る程度です。スカートなどでは、絵札はA10という8枚と、KQJという12枚の二種類があるとも見られます。その点掛合トランプやゴニンカンは、一種類なのです。
これはプレーのテクニックにも、深くかかわると思います。
来年は、2月1日日曜日になりそうです。私はもう来年行く気になっています。前日のブラックレディ大会は、1月24日の第四土曜日に繰り上げます。点字図書館は2月7日ですから、むしろ好都合です。SFは、出雲から戻れば二次会には出られるでしょう。雪で遅れたら諦めます。
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