ゲーム探訪記(1999/8/3-6)

帰って参りました。この4日間の旅行を日記風にまとめてみましょう。

8月3日火曜日。6時起床、7時上石神井出発、8時東京駅。

東京駅でOさんと落ち合い、のぞみで博多へ。

車中花札で遊ぶ。博多でつばめに乗り換え、八代へ。八代で肥薩線に

乗り換える。この肥薩線の中で高校生らしい男女四人が、

「ぐるぐるぽん」という不思議なゲームをやっていた。

実に16年ぶりの人吉へ着いたのは夕方。天守閣と言う名の

駅前のホテルへチェックイン。夕食後散歩。球磨川、人吉城址、

鍛冶屋町会館と回る。鍛冶屋町会館というのは、かつて盛んにうんすんかるたが

プレーされていた、ルノアール(笑)のような場所。たたずまいが

16年前と同じなので、感無量。ホテル天守閣泊。夜9時、突然

太鼓の音。駅前のからくり時計が踊りだす。16年前はこんなものはなかったな。

8月4日水曜日 午前9時に鶴上さんが迎えにくる。鶴上さんは、

もと高校の日本史の先生で、うんすんかるた復活を担った人である。

16年前に世話になった。今回も言葉に尽くせないくらい世話になった。

16年前に私がじかにうんすんかるたを手ほどきしてもらった

朋輩(ふうびゃあ)の木村さんと高橋さんは既に鬼籍に入られたと聞き、

残念に思う。うんすんかるたの正当(?)な伝承者は絶えたわけだ。

鶴上さんにうんすんかるたについての細かいルールの疑問点について質す。

ついで、手鞠歌「あんたがたどこさ」について質す。いろいろな事が分かる。

鶴上さんのお祖父さんが、犬童球渓であることを知って驚く。

マンガ家、とりみきについて質す。とりみきの生家が近所である

ことを知る。さらに、とりみきの父親が医者で球渓の診断書を

鑑定したことを知り、驚く。

さらに、球磨拳について質す。球磨拳がなんと六すくみ拳であることを知る。

球磨拳については、名人を教えてくれる。越替さんという方で、お宅まで

案内していただく。ここが宝の山であった。

人吉の鶴上さんは自宅にプレハブの小屋(と言っても結構広い)を作って、

学童クラブをやっている。この「太陽の家」で、16年前私は朋輩の

皆さんからうんすんかるたの手ほどきを受けた。16年前、私はその返礼に

太陽の家の子供達にククを教え、マッセンギーニのククを一組

置いて来た。昔のことであるので、それはすっかり忘れていた。

ところが驚いたことに、今もククをやっているのである。それも

かつてのククはぼろぼろになったので、それをコピーして自作し、

それを使っていたのである。さらにそれももうぼろぼろになっていた。

これほど使い込んでくれているのだ。感動を禁じ得ない。

私は、カードゲームの伝播を研究している。その私がカード

ゲームの伝播を自らの手で担ったのである。そう意図した訳ではないにも

かかわらず。かつての朋輩は、うんすんかるたが手に入らないので、

一組のうんすんかるたをぼろぼろになるまで使ったと言う。ぼろぼろになった

ククカードを見て、私の思いが二重に揺さぶられたのは想像して

いただけるだろう。こんなこともあるのだ。いや、こうしてゲームは

伝承されたのであろう。期せずしてゲーム伝播と伝承の実験をしてしまった

わけである。

私はFGAME製のククを2箱持参した。取り出して手渡すと、

ものすごく喜ばれた。ものすごく喜ばれて、私もものすごく嬉しかった。

さて、私は越替さんに球磨拳をじかに教わった。

ここで驚いたのは、越替さんに見せていただいた、各種資料である。

拳にはいろいろなものがあり、その資料を様々に見せていただき、

一部は手ずからコピーまでしていただいた。ちょっとだけ触れると、

球磨拳、薩摩拳(薩摩なんこ)、土佐拳(箸拳)、肥後なんこ、ブーサー、

サミ拳、パラ拳。こんなにあるのですよ。

さて4日、午後大収穫の人吉を後にした。

肥薩線で、球磨川を下り、八代。八代から熊本。熊本から大牟田へ

出た。大牟田へ着いたのは午後4時頃。それからカルタックスへ歩いた。

カルタックスでは西田館長に迎えられ、館内の展示物を見て回る。

絹張り花札、ビデオ猪鹿蝶、そして貝覆いの資料『二見浦』を見る。

倉庫の収蔵品も見せていただいた。そして耳寄りな話。

「明朝、百人一首の研究家、神作光一教授が見えますよ。お会いになってみたら?」

というわけで、翌朝の再会を約してグランドホテルへ。ここは4年前、

初めて大牟田を訪れた時にも泊まったホテルである。

ここで、訂正を。

16年前と書いたが、調べてみると1985年の8月5日に訪れている。

ちょうど14年前ですね。

鶴上さんの太陽の家では競技カルタ(百人一首)の会を定期的に催して

いるそうである。子供達もやるらしい。またうんすんかるたもルールを

簡単にしてやるという。

免田(人吉の少し先)のうんすんかるたの研究家高田素次さんは

5年ほど前に亡くなられたとのことであった。

プレーヤーの空戸さんに聞いて「日本談義」に八人めりの正確な

紹介を書いた人で、この資料は「えとのす」より古く、現在私が

目にした最も古い資料である。ただし、雑誌「球磨」にそのまた草稿に

なった記事を書いているという。このあたりをお持ちの方の情報提供を

望んでいる。(なお空戸を「くうど」と読むことも初めて知った)

鶴上さんは、新聞社(熊本日々新聞だったかな)に連絡して、

今月8月22日に予定されている球磨拳の大会のことを調べてくれた。

100人以上集まる大会だそうである。まだまだ球磨拳は盛んだと言えるが、

プレーヤーの老齢化はおおうべくもないようだ。

越替さんに聞いたのだが、5年ほど前に近くの温泉センターで

拳サミットと言えるようなものを実施したと言う。

薩摩なんこ、土佐箸拳などの打ち手が集まって拳技の交歓をしたそうだ。

知っていたらぜひ見に行きたかった。

8月5日木曜日

明けて8月5日木曜日。9時半にカルタックスへ着く。

間もなく神作先生が見え、知宜を得る。私の方からは、

百人一首の歴史や短歌の内容に関する研究は盛んだが、ゲーム(競技法)

に関する研究は等閑視されている、ルールの研究などからも見えて

くるものがあるのではないかと、お話しした。先生はよく理解してくれて、

文献資料の中で、競技法やルールに関する記述があれば情報の

交換は吝かでない旨、お約束戴いた。嬉しいことである。

ついでに私は競技カルタの理事もなさっている先生に、積年の疑問を

ぶつけてみた。「競技カルタの女性の選手権者を『クイーン』と呼ぶのは

どんなものか」 女王でも、女流名人でも若干問題はあるのかも知れないが

日本の伝統遊戯の頂点に対し、言うに事欠いてQUEENとは何事であろう、

ということである。先生は、「内側に居る者には、なかなかそうした素朴な

問題点は見えないものです」と、これも理解を示された(ように思う)。

それから西田館長に先日手に入ったばかりという、扇型の百人一首を

見せて戴いた。コンプリートではあるが、遊んだものとはとても思えない。

さて、カルタックスを後にすると、大牟田駅まで歩いた。大牟田から

特急つばめで博多へ、博多からのぞみで京都へ。途中広島、神戸などを

通ったので、原爆や震災に思いを馳せた。

京都で降りると、松井天狗堂へ向かった。

ところで、大牟田かるた資料館=カルタックスで、西田館長から

同人ゲームを戴いた。資料館には、時々こうした物の持ち込みがあるそうである。

折角だから、プレーしてみて、ここに報告します。

さて、京都駅から20分あまり歩いて、「最後のかるた職人」松井さんの

店を訪れた。松井さんはちょうど花札の色つけをされていた。

松井さんから昔のゲームなどの話を聞き、手本引きの目札(前綱)と

通り・半丁の札を購入した。手本引きよりかなり大きい采本引きの目札も

あったので、購入した。ドイツ人(だったかな?)が版画で彫った

花札が目を引いた。斬新で力強いデザインであった。梅林さんは

一組持っているそうである。

帰り際に「これは不良品だからあげるよ」と言われて、古歌入りの手作り

花札を戴いた。松井さんのはいつもそうなのだが、どこが不良品なのか

見てもさっぱり分からない。

その後、古制双六を伝承する宝鏡寺へ行こうとしたが、5時も回ったので、

ホテルへ行くことにした。京都駅を北から南へ越えるのに、難儀をした。

ホテルに荷物を置くと、シュピーレブルグへ向かった。

まず京都駅から大阪へ出た。国鉄の新快速というのはとても速い!

(Oさんは私が「国鉄」と言うたびに「JRだ」と訂正する。

しかしよくこう平気で外来語ならまだしも外来文字を(しかも英語

読みで)使えるものだと、私はむしろ憤慨する。)

大阪の地下でチャーシューメンを食い、西梅田から地下鉄で、

肥後橋へ。肥後橋から歩いて5分で行けるところが行き過ぎて、

犬に吠えられたりした。がともかくシュピーレブルグへ着いた。

品数豊富。わたしはジップとタムスクを、Oさんはコスミック・エイデックス

を購入した。これはヤスの変形ということであったが、後で話を

聞くと、ミドラーらしい。(ミドラーはヤスの一種だから嘘ではない)

シュピーレブルグは意外と広く(メビウスと同じくらいか?)、

プレースペースも広くとってある。大阪近辺の方には、重ねて

お進めである。

Iさんは居られず、聞くとオランダ(だったかな?)へ出張とか。

店員の方の商品知識は、完璧で、頼もしい限りである。

シュピーレブルグを辞すと、Oさんと別れて西中島南方へ

向かった。Oさんは梅田のキディランドが花札や株札で

東京にないものがあるというので、梅田へ、私は大阪ブリッジセンター

へ表敬訪問である。地下鉄で西中島南方へ。降りて探すと、

ムネカタビルはすぐ見つかる。シャッターが降りているので、

会報に書いてあるとおり脇の通用口から入り、7階へ。

中は昔の四ツ谷ブリッジセンターぐらいの広さか。

3人の人が熱心にビッドの打ち合わせだかハンドの検討だかを

しておられた。当然だが「何ですか?」と聞かれたので、

返答に窮した。見たところバックギャモンも見当たらなかった。

まあ表敬訪問なので、場所が分かったところで引き上げ、

西中島南方から新大阪へ。新大阪から京都へ帰ってホテルへ。

翌日、6日はいよいよこの旅の最終日。バネスト訪問である。

夜、Eさんに電話してゲームストアバネストの場所を尋ねる。

8月6日(金)8時に起き、朝食をとり、9時に京都駅へ。

新幹線で名古屋へ。名古屋から地下鉄で久屋大通りで乗り換えて黒川へ。

黒川で降りてから結構迷う。結局電話で聞き、交番で聞いてやっと

正午前にゲームストアバネストへ到着。正規の客1号と2号であろう。

中野さんは前掛け姿でかいがいしい。(笑)

早速「ビッグチーズ」を購入。あとチーパスのゲームを2点購入。

ポイントカードNo.1をゲット!(笑) 確か、プレイシングスにもお客

第一号で行ったはず。メビウスも開店の日にいったような気がするが、

どうだったかな?

しばらく3人で話しているうちに次々顔なじみらしい客が現れる。

5人でラーをプレー。開店後のゲームプレー第一号だよね。

ラーは惨敗。こんなゲーム嫌いだい!

マネージャーの見たことのないバージョンを発見。

中野さんに「よく見つけましたねえ」と言われる。あんた商売うまいよ。

新品が1つしかないので、購入は遠慮する。将来のこっていたら買うからね。

中野さんにククを送って下さいよ、と言われたので、ぜひ送らせて貰うからねと

約束。そこへEさんが到着。FGAME、ニフティ、パソ通、インターネットの

現況と将来についての話をする。29日の夜から蓼科へ行くと申し込む。

Eさんに車で黒川まで送ってもらって地下鉄に乗る。名古屋へ。

名古屋の自動販売機で、のぞみの東京行を買うが、千円札が弾かれ、

「しばらくお待ち下さい」係員を呼んで直してもらったときはもう

のぞみは画面から消えていた。なんだこりゃ。仕方がないので、

ひかりで帰る。でも乗り心地はのぞみよりひかりの方がいいね。

のぞみはさすがに無理して走っている気がするねえ。

東京駅でOさんと別れ、中央線で西荻へ。西荻までが都区内だからね。

そこからバスで上石神井へ。上石神井で準備して、バイクで目白の

ルノアールへ。こでコントラクト・ブリッジだが、7人しか集まらなかったので、

7人ブリッジをする。もっとも私は7人ブリッジは嫌いでない。

待ち時間が少なく、無駄なく遊べる。9時過にブリッジが終わり、

このゲーム旅行も終着を迎えた。

(FGAMEログより)