ライヤーズダイスの真実

たまにはゲームの話もしよう。 

ボードウォークやJAGAが始まってから何年もたっていないので、もう二十年近く前のこととなる。ちょうどライヤーズダイスが発売された年だ。ライヤーズダイスを買ってきてニコリの事務所でやった。当時は参宮橋に事務所があった頃だろうか。これがライヤの改作であるのは名前からも分かるが、随所によい工夫がなされている。☆、振りなおし、工夫された盤。素晴らしいゲームである。推理とブラフの要素がうまくミックスされ、緻密かつ大胆な思考+度胸ゲームになっている。単体のゲームというより、あるシステム、ある小ジャンルの登場にも思えた。さっそくなかよし村でやったが、好評であった。そこでボードウォークに持ち込んだ。意外なことに、絶不評。M君には「クソゲー」と言われてしまった。(当時この言葉はまだなかったと思いますが、かなり近いニュアンスで言われました。) 

JAGAにも持ち込んだ。ここでも不評だった。感想を聞くと「音がうるさい。」 

私はマットを用意し、紙コップを買って来た。マットは好評だったが、紙コップは見かけが悪いので別の不評をかった。再びボードウォークとJAGAに持って行った。残念ながらまた不評だった。だんだん取り出すのもはばかられるような気分になった。どうして面白さが理解されないのだろうか。見ているとゲームの趣旨が理解されにくいようだ。「振りなおしに意味がない」「運まかせで面白くない。」などと言われる。「いや、そうじゃあなくて・・・」 

今、ライヤーズダイスやブラフに慣れている人には逆に理解しづらいだろうが、この「何をしていいか分からない」感覚、新しいシステムに馴染めない感覚というのは、なかなか強固だ。やっているうちに私も、あんまり面白くないのかもしれないと思えてきた。紹介したゲームをつまらないと言われるのは、やはりつらい。そもそも不評なゲームはやってくれないし、やってくれても初めからノリが悪い。 

やめようかとも思ったがめげずに持参したら、3回目ぐらいからだんだん理解されるようになって来た。なかよし村で面白さを知った人が混じってやってくれたのが、効果的だった。こうなればしめたもので、楽しそうにやっていると回りで見る人が出てくる。見ていると、ルールそのものは分からなくても、何となくゲームの運びや手続きは分かってくる。趣旨も、今までとは違うものだ程度には、理解できる。初めからのノリも向上する。こうして、やがて後に6人の定番と言われるまでになったのである。 

あとで聞いた業界の内輪話も、考えさせられるものがあった。このゲームはツクダオリジナルの社員の一人が、強力に推して製作・発売になったそうだ。しかし販売実績は芳しくなく、やがて製作停止、その社員は左遷の憂き目にあったとか。 

私は、名前も知らぬその社員の見識を高く評価すると同時に、その悲運に心から同情する。そして「よいゲームであるから売れる」とは限らないと、痛感した。よいものは売れる、売れるものはよい、というのは神話である。もちろん一般的にはそのように言えると思うが、世の中はそんなに簡単には決まらない。様々な要素のからみあいがあるのである。 

ブラフというゲームが、ドイツゲーム大賞を受賞したのも不思議である。もちろん評価は正しいと思う。素晴らしいゲームである。しかし、ではなぜライヤーズダイスが受賞しないのか? サイんはBさんの仰るように、ブラフの受賞は名前がよかったからか。私には全くそうは思われない。ブラフは、「はったり」というような意味の普通名詞である。ライヤーズダイスにブラフはつきものだが、これだけがブラフのゲームというわけではない。このゲームはむしろ推理の要素がメインで、たまに嘘をつくからいいのだ。それはライヤであって、相手を脅かすというニュアンスのあるブラフではない。また、ライヤーズダイスなら、ダイスゲームであることが分かるが、ブラフでは何だかさっぱり分からない。 

コンポーネントの違いか。☆を1から6にしたのがよいのか。どっちだって同じだろう。ゲージを縦向きにしたのは、却って改悪だろう。 

私には、ライヤーズダイスの価値を見出せなかった審査員の、見識の低さの暴露にしか思えない。それともライヤーズダイスへの鎮魂なのだろうか。 

私は応援のため、ライヤーズダイスを4つ買った。幸いなことにこれは、 

1990年から始めた年二回のライヤーズダイス大会に、大変役立っている。

(mixi日記/2005.10.27より転載)