トリックテイキングの宇宙
(前編)
この日記にはあまりゲームのことは書かないつもりだが、今回はトリックテイキングゲームの
一つ、ゴニンカンを堪能したので、少しくトリックテイキングゲームについて書いてみよう。
トランプの発祥は不明だが、1377年スイスのベルンの僧ヨハンネスが、明らかにトランプで
あると思われるカードゲームの記述をしている。また前後して禁止令もでている。
それやこれやで、現行のトランプの原型は1370年ごろ、北イタリアにて完成された、
というのが定説だ。そのまた祖形として、オリエントのナイペ、そしてペルシャのポロカードが
推定されている。そしてそのまた元は、11世紀頃の中国のカードゲームだ。
ではその元はといえば、唐の紙幣ではないかと言われている。したがって、9世紀頃まで遡る。
一方トリックテイキングの発生はいつなのだろうか。
14世紀のトランプゲームについては、正確なところはわからない。しかし
15世紀には、かなりトリックテイキングに近いゲームも出現。そして遅くも16世紀には現行の
トリックテイキングゲームの基本ルールは完成している。それ以降は、文字通り綺羅星のごとく、
満天の星のごとく、トリックテイキングゲームは発展を遂げたのである。
では、それはなぜなのか。そしてそもそもトリックテイキングとは何なのかを、ここに語ろう。
1971年に、私は古典的トランプゲームの5分類をまとめて、SFマガジンに発表した。(SF
マガジン1972年2月号p.78~)
それによれば、古典的トランプゲームは、次の5つに分類できる。分かりやすいようにトラン
プゲームから1つ、トランプゲーム以外から1つか2つ、実例を挙げておこう。
1.トリック系・・・・・コントラクトブリッジ。うんすんかるた。
2.ラミー系・・・・・・カナスタ。麻雀、ラミィキューブ。
3.ストップ系・・・・七並べ。ウノ、ドミノ(カンテット)。
4.カシノ系・・・・・・スコポーネ。花札(八八)。
5.ギャンブル系・・ポーカー。カブ。
全てのトランプのゲームの50%あまりを占めるのが、この1.のトリック(テイキング)系のゲー
ムである。あとのラミー系、ストップ系、ギャンブル系がそれぞれ15%ぐらい、カシノ系は5%
未満と推定される。もちろんこれは何らかの統計をとったわけではなく、あくまでも私の「かんじ」
である。
ではそのトリックテイキングとは、何を言うのだろうか。ざっくりと、それぞれを定義してみよう。
もとよりあまり厳密なものではないが。
1.トリック系・・・プレーヤーが1枚ずつカードを出してその強さで勝敗を決めるゲーム。
2.ラミー系・・・・例えば3枚(以上)ずつ手札をセットにしていって、組み合わせを作るゲーム。
3.ストップ系・・・ルールに従って手札を出していって、早く手札をなくすゲーム。
4.カシノ系・・・・場にあるカードを手札と合わせて取るゲーム。
5.ギャンブル系・・上記4つ以外全て。
今回は1.だけに注目して欲しい。これがトリックテイキングゲームである。
ただし、ここで言うトリックテイキング系のゲームは、広義のトリックテイキングであって、
狭義の、もっと通常のトリックテイキングとは、次のようなゲームを指す。
「フォローの義務」のあるゲーム。
では、「フォローの義務」、あるいはもっと簡単に「マストフォロー」というのは、どういう
ものか、そしてそれはどのような歴史的起源を持ち、どのように発展し、どのような意味がある
のか。これを次に述べたい。
(中篇)
中国のカードゲームの伝統は、紙牌と詩牌という二つの系列に淵源を持つ。詩牌は、漢字の書
いてあるワードバスケットかカンジー博士の元祖、みたいなもので、これで詩を作って遊ぶ。紙
牌は、闘虎のようなゲームに連なる。組み合わせるという意味では、詩牌は麻雀すなわちラミー
系ゲームの、カードの強弱でで勝負という意味では紙牌はトリック系ゲームの鼻祖と言えなくも
ない。しかし、中国ではついにスートフォローという概念は生まれなかった。例えば闘虎では、
スートはあるが、それは単に上級ランクということであって、スートをフォローするということはない。
ではスートをフォローするということはどういうことだろうか。
カードの強弱による強さの比較には様々なものがある。単純にカードの大小を比べてもよい。
その比べ方にも、青冠のように隣とだけ比べるのもあれば、「はげたか」のように同時に出すの
もある。大貧民のように何周もするのもある。その中に1周ごとに勝負を決め、積み重ねる方式
もある。これが「トリック」の第一歩である。つまり「1トリック」とは「一巡」ということだ。
トリックが成立すれば、ページワンのように手札が増えたり、大貧民のように他人より手札が
減ったり、中国のゲームのように複数枚だすこともなくなる。各自の手札の枚数はいつも同じで
あり、一枚ずつなくなって行って、同時になくなる。トリックテイキングとは、まず以って
このようなゲームである。
次にスートの問題が立ち現れる。
15世紀のヨーロッパのゲームを見ると、トリックテーキング前夜というようなゲームが、たく
さん見られる。現在でも東欧で見られるセドマなどは、ランクはあるがスートはない。古いフラ
ンスのアリュエットは、特定のカードに特定の強さがある。ここではスートはカードを特定する
特徴ではあるが、スート(揃い)と呼ばれる必然性はない。が、これが16世紀の末までにはマス
トフォローの原則が確立するのである。
ここでマストフォローの説明をしよう。
トリックが一巡として確立するということは、最初に出す人(リード)から順に1枚ずつカードを
出していく、ということである。このとき、最初に出した人と同じスートのカードが手にあったら、
必ずそれを出す、これがマストフォローである。こんな何でもないことが、人類のゲーム
史上最大の発明の一つになるのである。
マストフォローで大切なのは、フォローできないときに限って、リードと違うスートのカード
を出していい、いや出さなければならないということだ。で、この場合は、負ける。このことに
よって、全く同じランクの複数のスートの勝負が明快になる。例えばトランプには四つのエース
があるが、どのエースが最強かを予め決めておく必要はない。リードされたスートのエースが
最強なのだ。
では、どうしてマストフォローがそんなに革命的だったのか。それはカードマネジメントが
生きるからである。その辺りの解析は後編に回すとして、先にトランプゲームの現況を見ておこう。
例えばゲームファームには、173種のトランプゲームが紹介されている。そのうちトリック系は
ちょうど100である。ちなみに、ラミー系12、ストップ系13、カシノ系11、ギャンブル系8、その
他29である。ただしその他の多くは分類するとすればギャンブル系で、一部はストップ系となる
だろう。
またパーラットのトランプゲーム大百科の項目を見ると、トリック系が68項目、ラミー系が12
項目、ギャンブル系が9項目、ストップ系とカシノ系がそれぞれ3項目となっている。これは項目の
数であって、個々のゲームをカウントしたものではないが、トリック系の層の厚さには驚かされる。
では、ゴニンカン、ナポレオン、スカート、ブリッジ、などのトリック系の繁栄の秘密は何な
のか、また日本ではそれはどう受容されたのか、などについて、明日の後編でまとめよう。
(後編)
私には、マストフォローというのが、カードゲームの西欧近代的展開の真髄に思われる。西欧
近代の本質は何かと言うなら、それは近代科学であると言い切ってしまおう。では科学の本質は
何かと言うなら、それはあまりに大きな問題だが、飛躍を重ねて言ってしまうなら、それは「自ら
定めた規則に厳密に従って世界を合理的に眺め直す」ということではあるまいか。そこに本質的に
内在するのは「自制」であり「自律」である。そういう意味では、現代科学は近代科学を逸脱した
のかも知れない。
例えば、運動文化の西欧近代的展開がスポーツであると思う。だからスポーツマンシップには
自制と自律が求められるのである。
完全なトリックテイキングゲームは、なかなか日本に根付かなかった。ゴニンカンは珍しい例外
とも言えるが、よく見ると完全とは言いがたい。ジョーカーはマストフォローに従わないのだ。
日本製のナポレオンもそうだ。
ウンスンカルタを見ると、日本でトリックテイキングがどう崩れていったかが分かる。
ウンスンカルタの場合、メリやモンチと呼ばれる特別な場合だけがマストフォローなのである。
ただフォローすると強いというところに、残滓が感じられる。
ヨーロッパにも色々な段階のトリック系ゲームがある。なにも完全なトリックテイキングばか
りではない。ゲームの種類だけで言うなら、最狭義のトリックテイキングよりも、トリックポイント
テイキング、すなわちトリックに勝つことに依って特定のカードを取る(取らない)ことが目的の
ゲームの方が多いくらいだ。またタロットカードの愚者も、17世紀前半までは逃げ札であり、
マストフォローの対象ではなかった。また逆にマストフォローよりもっとタイトな、マストラ
フなどのルールも多かった。
しかしこうした歴史を経ながら、18世紀末までには、ホイストやブリッジのようなメインスト
リームとして、簡明で原則的なトリックテイキングが確立したのであり、それは近代の確立と
重なるのである。
ではどうして、スートにフォローするというだけの、トリック系が、多くのカードゲームの頂点を
占めるようになったのか。私はそれは、適度で厳密なスキルの実現というところに秘密があると思う。
私はゲームには丁度よい難しさがあると思う。例えばドミノは28枚札を使う。28枚の情報量は
そう多いものではない。だからドミノは易しいゲームと言える。32枚のスカートや、40枚のスコ
ポーネの方がちょっと難しいかな、と思う。52枚のブリッジはもっと難しく奥が深い。では136枚
から144枚もある麻雀は、もっと奥が深いのだろうか。然りにして否である。確かに136枚もあって
見えない札の多い麻雀は、次に来る牌の予測はつきにくい。だが全く予測がつかないのなら、
結局のところ予測は意味がない。もちろん少しは予測がつくからスキルもあるとは言えるのだが。
すなわち、複雑な方がスキルが必要とは限らない。将棋は40枚しか駒がない。中将棋や大将棋
は何十枚も百何十枚も駒がある。だからより難しいとは言える。しかしより奥が深いかと言えば
そういうものでもない。膨大な駒を捌くのに追われてスキルどころではないのだ。
立体オセロは、私も打ったことはあるが、あまりに難しい。コンピュータの目から見れば、
より処理すべき状況の多い立体オセロは、通常の平面オセロ(リバーシ)より、ずっと難しい。
しかし人間同士がやるなら、あまりに難しすぎて、結局うっかりした方が負ける単純なゲームになって
しまうのである。
トリックテイキングの妙味の一つはそこにある。つまりスートフォローが前提なら、フォロー
すべきカードは、毎回1枚から数枚になる。リードやディスカードでは選択肢も増えるが、さほ
どでもない。つまり難しさの最適値化がなされるのである。
もう一つは、エスタブリッシュの問題である。セドマやホットカードのようにトリックはあっても
スートがないと、技量の入る余地がない。結局よい札を持った人が勝つのである。
トリックテイキングでもその傾向は強い。しかしフォローできないとAでも負けるのだから、
カードをうまくコントロールするスキルが必要になる。手札のよしあしは、ビッドの登場により、
更にボードの登場により平準化され、よりスキルのゲームに育っていったのである。
ところで、トランプと言えば七並べ・婆抜き・神経衰弱しか知らない人に、トリックテイキングを
教えると、一番理解しにくいのが、このマストフォローである。時にはよくないルールだと、抵抗をしめす。
まず何のためにそう決めるのか、ルールの意味が分からないらしい。尤もこれは、ルールであ
るという以上の説明はできない。いちいち前述のようなことを述べていてはゲームが始まらない。
次によくないルールと感じるらしい。まず不正は外から(とりあえず)見えない。だから初めの
うちは、「スペードないの?」とフォローを確認したり、注意深くプレーを見ていてあとから
リボークを指摘しなければならない。たしかにこれは面倒なルールである。手札は自分だけが
見える自分だけの情報である。それを外側からコントロールされるのは不愉快なのは分かる。
だからそれはそういうルールが悪いという論理も納得できないことはない。
しかし、自分しか見ていなくてもフォローの義務は果たさなければならない。
この自制がトリックテイキングの宇宙を支えているのである。
結局、トリックテイクという仕掛けによって、情報と場のコントロールの最適化が成されてい
ると私は見ているのだが、この仕掛けは必ずフォローするという、ルールの内面化に依って果た
されるのである。
現在は確立したゲームがある。だから「これがルールである」で終わってしまう。しかしゲームの
移入期には、もっと困難があったろう。ルールを自制するのは不正の元、間違わないルール、
不正しにくいルールがよいルールという論理も説得力がある。
こうして日本には、なかなかトリックテイキングが根付かないのである。
しかしひとたびその心をつかめば、トリックテイキングは豊穣な宇宙の入り口を示してくれる。
トランプゲーム大百科を見ただけで、トリックテイキングには、ブリッジ・ホイスト、ソロ、
ファイブカード、ハート、オールフォー、イタリアン、スカート、ヤス、ピノクル・ベジーク、ピケと、
それぞれが何十というゲームを含む大グループが属している。また今でも面白いトリック
テイキングの新作は作られ続けているのである。
(mixi日記より 2006年01月23日~25日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=78252287&owner_id=1296441