ゲームの史的解析について

「ゲームの史的解析について」                                                             草場純

(1)

歴史は、文字通り書かれた(史)来歴であるので、文書資料のないところに歴史はな

い。しかしゲームに関する史料は余りにも少ない。それはゲームが文化の中で相対的

に軽んぜられて来たからであり、ある意味で無形の文化(ソフト)であるからである。

従って、少し遠い過去のゲームは、その内容を伺い知る事すら困難なものが多い。し

かもそれらの「失われた」ゲームは、面白いと推定される。なぜならそれは、何百年

も、ある場合には何千年もの間、多くの大衆に愛されて来たからである。

ゲームの楽しみの大きな部分は、その多様性にある。よく「古今東西」と言うが、

空間的・時間的な広がりが、ゲームの面白さをいかに保証するかは、いくつかのゲー

ムに即して考えれば、たちどころに了解されるであろう。例えば「クク」をあげてみ

よう。ククはわずか15程年前に、憲法学者の江橋崇氏によって初めて日本に紹介され

たものであった。そのゲームの原理は極めて簡単で、20のランク(1~20と考えてよ

い)のカードをたった一枚ずつプレーヤーに配って、「一二の三」で見せ合い、一番

弱いカードをもっていたプレーヤーが負ける、というここだけ聞いたのではどこが面

白いか絶対に分からないようなゲームである。しかし実際にククカードを手にし、手

慣れたプレーヤーに教わりながらプレイしてみれば、面白いということは言葉で説明

する必要が全くないほど了解される。勿論それは、囲碁やコントラクトブリッジのよ

うに深みのあるものでは全くない。にもかかわらず、囲碁の名手や、ブリッジの上手

なプレーヤー(勿論ククを知っているプレーヤー)が、「面白い」と言うのである。(嘘だ

と思ったらBさんに聞いてみなさい。)このククは、昔のイタリアのゲームである。

昔(古今)や、とつ国(東西)であることが「新しい」システムを保証し、楽しい多様性

に我々を導いてくれるのである。このような例をもう少しあげてみよう。

「うんすんかるた」は百年程前にほぼ滅びてしまった日本固有のトリックテイキング

ゲームである。その独特のルールと面白さは、このゲームで徹夜をしたものにしか分

からない(本勝負をすると徹夜になる)。これは「古今」の例である。

ラベンスバーガーというドイツの優れたゲームメーカーがある。ラベンスバーガーの

創るゲームはほとんど外れがない。どれも独創性に富み、ゲームの勘所を押さえ、

仕上がりがよい。これは「東西」の例である。

ガンジファというインドのトリックテイキングゲームがある。これも「東西」の例だ。

中将棋・大将棋・大々将棋・摩訶大々将棋・泰将棋などというめまいのするような

多様性の行列、これは「古今」の例だ。

ところで「古今」と「東西」どちらが厄介か? ここで議論は冒頭へ戻る。答えは勿

論「古今」であり、我々の過去には無数の「面白い」ゲームが埋まっているのであ

る。六博、四維、儒碁、乱碁、ハラソクギ、チョボ、三百ずっぱい、ざらちゃん、こ

ざら、ランスケネット、トリオンフォ、etc.etc. 史料の少ないこれらのゲームを我

々が楽しむことは絶望的なのであろうか? 否。私が史的解析と名付けた方法によれば

それは可能なのである。

(2)

前回「ゲームの史的解析」といいかげんな造語で書いたが、考えてみたらむしろ「歴

史のゲーム的解析」と言うべきであるような気もする。が、まあよかろう。前回述べ

たように、史料のない、あるいは乏しい領域に、ゲームの内的自走性を利用して切り

込もうという手法に、私が勝手に命名したものであると理解してほしい。ゲームの一

次史料は乏しい。しかしゲームには「ルール」という、ゲーム自身を時間を超えてア

イデンティファイする内的アルゴリズムが存在する。たとえは悪いが、琥珀の中の蚊

の保持していた恐竜の血液に含まれるDNAから、恐竜自身を復元するようなもので

ある(そんなことができるとは思えないが)。例えば今から千年前の古文書に「これは

千年も前に滅んだゲームである。」と書かれている六博のルールが分かれば、我々は二

千年前の人の心になれるのである。なぜならゲームは優れて実践的な文化形態である

が故に、言語で他者に伝達しにくいが、丁度その分、実践してみることによって通時

的にプレイヤーの心を辿れるからである。

では具体的方法を示そう。 ここに双六というゲームがある。勿論、絵双六ではな

い。盤双六・古制双六・本双六・雙六などと表現される、日本のバックギャモンであ

る。このゲームは今から三百年ほど前にほぼ滅んだ。現在この古制盤雙六を「歴史的

に」正しくプレイできる生物はこの宇宙の中に存在していないと私は推定している。

恐竜のように、一度滅んだ生物は二度と蘇らない。ゲームも一度滅ぶと、蘇るのは至

難である。しかし恐竜が化石を残しているように、古制双六は屏風絵(など)を残して

いる。中には局面の分かるのもある。しかしながらこれらが「正しく」書かれたのか、

いい加減に書いてあるのかは、(全くいい加減ではないのはすぐ分かるが)よく分から

ない。一方、シャンポリオン(だったっけ?)の古代エジプト文字の解読にコプト語が

不可欠であったように、古制双六にもコプト語が残されている。京都に「宝鏡寺」と

いう寺院がある。ここでは本双六のルールが伝えられている。勿論完全なものではな

く、不明な点も多い。また大聖寺にも伝えられるやに聞く。江戸時代の文献もある。

しかし史料的には以上である。つまり本当のところは分からない。だがゲームはここ

からが違うと私は考えるのである。つまり推定されるルールでプレイしてみることが

できる。ここであなたの登場である。あなたがもしバックギャモンをご存じなら(腕

前は上手なら上手なほど良い)、現在推定しえる古制双六のルールを私が提供するの

で、それでプレイしてみてほしいのだ。その結果、十分プレイが重ねられれば、古代

の定石が復活する。何となればそれがゲームの自走性のしからしむるところであるか

らである。では次回、古制双六のルール(推定)を述べる。乞うご期待。-いや、皆さ

んに期待しているのは私の方である。ともに古代ゲームへの探検に出発しようではな

いか!

(3)

ではいよいよ日本の古制双六のルールを述べよう。バックギャモンを知っていると

いう前提で、現在のバックギャモン(国際ルール)との相違点のみを述べる。

(1)まず当然のことながら、ダブリングキューブは使わない。

(2)オープニングはダイスを1個ずつ振り、まず先手を決め、しかる後に先手がダイ

スを2個振り直してその目で進める。従って、ぞろ目のオープニングロールがあり得

ることになる。

(3)ぞろ目はその目を2度だけ動かす。現在のバックギャモンではたとえば3-3が

でたら、3を4回動かすが、古制双六では3を2回動かすことになる。

(4)勝利条件が異なる。古制双六では、自分のインナー(内陣とよぶ)に石を全部入れ

ればゲームは終了である。すなわちベアリングインはあるが、ベアリングオフがない。

先にベアリングインし終えたプレーヤーの勝ちである。

(5)プライムを作ってはいけない。これは驚くべきルールではないだろうか? フル

プライムを作るのは、「失礼」であるのだそうだ。(すぎやまこういち氏の証言)これは

果たしてルールなのか、マナーなのか? すぎやまこういち氏の見解ではルールのよ

うである。ここではルールと考えたい。フルプライムが許されるのは、最後に上がる

(ベアリングインする)瞬間だけとする。

(6)インナーにフルプライムを作って勝つのがギャモン(無土)勝ち、さらにそのとき

相手をヒットしているのがバックギャモン(無上)勝ちである。ただしギャモン勝ちが

2点、バックギャモン勝ちが3点と評価された証拠はない。無土(むぢ)勝ちを「名誉あ

る勝ち方」と称せられたに過ぎない。

以上が現在推察される古制双六のルールである。バックギャモンの得意な方、古代

ゲームに興味のある方、ぜひ対人プレイをしてみて欲しい。平安人の心になれるかも

知れない。やってみた感想、定石等コメントして戴けると嬉しい。それを史料(屏風絵

など)と照らし合わせるのを称して、「史的解析」と言うである故。

用語の対照表を掲げる。 バックギャモン 古制双六

ブロット はいし (端石)

ポイント いっか (一荷)

                           ヒット(動詞) 切る

インナーボード 内陣

アウターボード 外陣

エンゼルリープ とびつき

                                                               

(1993/9/3-5 FGAMEログ)