私はいかにしてごいたカードを作ったか

ごいたは伝統ゲームである。別のところ(アナログゲームスタディーズ)で詳細に述べたので繰り返さないが、古い伝統ゲームには却って現在よく遊ばれているゲームにはない、

システムの原石が埋もれていたりする。ククしかり、市場の商人しかり、手本引きしかりである。飛躍した例えで恐縮だが、民族楽器に似ていると私は思う。 

さて、ごいたは、受け将棋の末裔と思われる。この手のゲームには青冠、芋将棋、いろてん、まる将棋などがあるが、いずれもよく知られたものではなく、若干、確立したルールと言い難い面もある。

その点、ごいたは明治期に成立し、細々とではあっても今でも遊びつがれている、れっきとした伝統ゲーム、郷土ゲームである。当然、確立したルールの存在が期待された。 

私が「ごいた」の名を初めて耳にしたのは、1980年代で、「かるたをかたる会」席上であった。ただし、石川県で遊ばれているという情報以外、おおざっぱなルールの概要だけで、

実際に遊んでみることはできなかった。青冠を将棋の駒でやるようなゲームらしかった。 

2003年8月にゲーム研究家の高橋浩徳氏が宇出津を訪問し、正しいルールを採取されてきた。私が教わったのは、同年9月のボードウォークだった。高橋氏は駒の裏に紙を貼り、

駒を置く枠を描いたボードを用意してくれて、精確に教えてくれた。そのおかげで青冠との差異は分かったが、私はこのゲームに高い評価を与えることはできなかった。

これを述べると若干差しさわりがあるが、実は今でもそうである。 

ごいたは手札7割とは土地の人も言っているが、まさしくその通りである。一方、駒数が少なく、明らかにされる情報が多いので手が読めるというのも、まあ半ばそうである。

だが結局決定的な情報は得られず、最後は当て物になってしまって、残念ながら奥深いとは言えない。もちろん推理で解ける局面も多いので、底の浅いゲームと言うつもりはない。

保存会の人たちの言う、「奥の深いゲーム」に異を唱えるつもりはない。しかし、ごいたにほれ込んでいる人が言うほど奥が深いゲームには、原理的になりえない。

尤もそうなると、そもそも「奥が深い」の定義からして問題だからこれ以上は深入りしないが、私の当時の判断はそうであった。この辺りは麻雀に似ている。

麻雀も「一点読みができる」と主張する人もいるが、残念ながらそれは幻想であり、「30年間不敗」と同様、伝説である。麻雀の「何切る問題」も解答を一義にすると、

易しい問題は作れても難しい問題は作れない。ブリッジのダブルダミーなら、すごく高度な問題も作れるが、麻雀や、ましてごいたではそれは無理なのである。 

だが、それは果たして欠点であろうか。ごいたは易しいルールだが、確かに面白いゲームなのである。 

2003年9月段階での私の認識は、ごいたは郷土ゲームの一つであり、ゲーム会の時間の空いた時に丁度良いゲームというものであった。道具も手に入らないし、しばしこのままであった。 

だが注目すべき点もあった。日本のゲームには珍しい、固定パートナーシップゲームなのである。尤もこの点も、青冠は固定パートナーシップゲームなので、決して唯一というわけではない。

(文献上では「絵取り」もそうだ。これは後に「掛合トランプ」につながる。) 

さて、私にとって運のよいことは、たまたまこの2003年7月に『ごいた入門』の初版が発行されていたことである。高橋さんに連絡先を聞き、宇出津に手紙を書き、のちにこれを手に入れることになる。

と、同時に、宇出津の訪問を考えていた。なぜなら「ごいたの奥の深さ」に関する上記の私の分析は、20ゲームほどやってみた感想であって、本当のところは分からないと言うべきであったからだ。

つまり、単に私が下手だからこのように考えているのかも知れない。

 

こういう点が、伝統ゲームが創作ゲームに勝るところである。なぜなら、伝統ゲームには長く続いたプレー集団がある。そうした中では当然技量の上昇が望める。つまり本場の人とやれば、

私の仮説が肯定的であれ、否定的であれ、実証できるのである。もう一つあったのはゲームマーケットである。すなわち、うんすんかるたや投扇興と同様に、ゲームマーケットにプレー集団を

招聘して紹介できれば、これは二つの時代、二つの世界の、幸せな出会いになるのではないか、という目論見であった。 

この目論見は2008年4月に実現し、文字通り「目論見通り」になったのであるが、それはまた後の話である。 

状況が大きく変わったのは、2006年9月のことである。私はふと 

「ごいたはデュプリケートでやるといいのではないか?」 

と思いついたのだ。 

デュプリケートというのは、18世紀末にキャベンディッシュによって考案された画期的なゲームの試合方法で、ボードという簡単な装置を使って、大勢の人が同じ手札でゲームを競えるという、

素晴らしいやり方である。カードゲームは手札の運不運が原理的に付きまとい、むしろそれがカードゲームの本質とも言える。ところが手札の運にかかわらず競い合えるとしたら、

それこそ真の実力が争えるではないか。 

この方法はまずホイストに、そしてオークションブリッジに、そしてコントラクトブリッジに応用され、現在のコントラクトブリッジでは、ほぼ標準の試合形式である。

(実際には、完全には手札の運と無縁とは言えないが。) 

私はこの思いつきに夢中になった。そして自明なことは、「デュプリケートごいたをやるにはカードでなければならない」ということである。無理をすれば座席移動方式などでデュプリケートは駒でも実現できるが、

やはり手軽にやるにはボードを使うしかなく、それにはカードであることが必須である。 

こうして私の大いなる野望(笑)は、発動された。 

世間では、私がカードごいたを作ったのは、ごいたの普及のためと思われているが(少なくとも私はそう公言してきた)、それは世の中を欺くかりそめの主張であった。

いまここに初めて告白しよう。私はデュプリケートごいたを実現したいばかりに、カードごいたを志し、支部設立に走ったのである。

ではどうして私は、そうまでデュプリケートに拘るのか、これは一つ説明が要るだろう。ごくはしょって結論から先に言えば、それはメタゲームだからである。 

『ルールズ・オブ・プレイ』を繙くまでもなく、ゲームはシステムである。ゲームを遊ぶのは楽しいが、よいゲームの優美なシステムを観賞し、人に紹介するのもまた楽しい。それは楽しさの発見である。 

またゲームにはそれを取り囲む文化がある。例えば試合運営もまたゲームと言える。優れたゲーム文化にはゲームを楽しく、能率的に遊ぶ工夫や(メタ)システムがある。これ自身がまた楽しい。

卑近なところでは、八八セットに入っているガジェット、あれにワクワクする人も多いだろう。最近ではアグリコラのガジェットに工夫を凝らす人もいる。私はアグリコラはあまり好みではないが、

それでもよくできたものを見るとドキドキしてしまう。小さいところでは、ダイストレイやチットトレイ、ビニール袋からゴム紐、サマリーやチャートの類まで、あまりそのように言う人はいないが、

それらだって観賞の対象足りえると思う。 

だが本当の工夫はこれだけではない。そうして少々残念だが、こうしたゲーム周辺領域の工夫やシステムは、欧米が一歩先んじているように感じられる。 

いくつか例を挙げてみよう。 

まず対局時計がそうだ。これはある意味ゲームを変えた。これは「チェスクロック」と呼ばれるように西洋将棋起源である。そして囲碁・将棋はもちろん、今はバックギャモンにも用いられる。

チェス起源のものはまだあり、例えばレーティングのような無形のものもそうだ。これは、名の残らぬ多くのチェスプレーヤーの実践から生まれた文字通りのシステム、である。

イロ博士は、その自己言及的なシステムが収束することを、証明したに過ぎない。 

気づかれにくいが、チェスからはもう一つ重要な概念が生まれている。それはポイントシステムである。ポーン=1、ナイト=ビショップ=3、ルーク=5、クイーン=9、というあれである。

(これは駒の再使用がある将棋では当てはまりにくい評価であり、コンピュータ将棋の開発者はいまだにそれで苦労している。) このポイントシステムは、ブリッジに応用されてその名も「システム」と呼ばれ、

遺憾なくその効果を発揮している。現在のブリッジはこの「周辺」システムなしには、逆に立ち行かない。 

こうした周辺システムには、ほかにもダブリングキューブとか、スイスシステムとか、シュエットとか、パートナーシップランゲージとか、瞠目すべきものがたくさんある。

そしてその中でも出色なのがデュプリケートシステムなのである。 

面白いことに、ブリッジは非常にデュプリケートになじむゲームであった。デュプリケートに向く条件としては、手札が簡単に復元されるということである。ブリッジは純粋なトリックテーキングゲームなので、

プレーしたカードを勝ったら縦、負けたら横に伏せるだけで結果が明示され、終了後 初めの手札を容易に復元できる。これがポイントテーキング、カードテーキングのゲームではそうはいかない。

同じ理由で、カシノ系、ラミー系、ストップ系のゲームにデュプリケートは向かないものが殆どとなる。尤もちょっとしたルールの差で、例えばポーカーだと、ドローポーカーではデュプリケートはできないが、

スタッドポーカーなら何とか可能だ。 

もう一つ大切な点は、ブリッジではA(エース)はいつも良いカードだという点である。良いカードはいつでも良いとなると、良いカードが配られた人が勝つゲームになってしまう。

実際ラバーブリッジにはそういう傾向がある。ところがこれをデュプリケートにすれば、そうした問題は一気に解決される。例え良いカードが配られても、自分と同じポジションの人すべてに同じ手が配られるのだから、

テクニックを駆使してそれらの人々に打ち勝たねばならない。つまりデュプリケートの真価は、カードに決定的な優劣があるときにこそ発揮されるのである。 

バックギャモンでも、大会の座興にデュプリケートギャモンが行われることがある。しかしこれは息抜き以上の意味はあまりない。なぜならバックギャモンに於いては「いつでも良い目」というものは存在しないからだ。

3-1は、初手では良い目だが、最終盤では悪い目であろう。すなわち、目の良し悪しは局面によって千変万化である。同じ目をみんなに振り分けるデュプリケートギャモンには、だから座興以上の意味はない。

(面白いけど。) 

これは麻雀などでも同じだ。ドラなどを除けば、「いつでも良い牌」というのはない。例えば五索は、カン五索で張っている人には「良い牌」だが、緑一色をやっている人には邪魔な牌だ

(混一で妥協するという選択肢はあるが)。 だからデュプリケートでやる意味はあまりなく、そもそも自摸牌の移動する麻雀には難しい。初期配置の復元に至っては絶望的だ。

ではありながら、もしみんなが全く同じ手で麻雀の技量を競えたら、これは相当に興味深いのではないかと夢想する。 

ブリッジにおけるデュプリケートは、そうした夢のシステムなのである。それは合理的で、優美で、完成されている。(その分、やっていると苦しいが。(笑)) 

ところがこの画期的な周辺システムであるところのデュプリケートは、人々に知られていない。なぜだろうか。理由の第一は、今述べたように、デュプリケートになじむゲームが限定されることにある。

理由の第二は、最もなじむゲームであるブリッジのプレーヤーは他のゲームをあまりやらない傾向が強く、そもそも相対的に数が少ない、という点だ。 

すなわち、デュプリケートの価値を知る者はゲームをやらず、ゲームをやる者はデュプリケートの価値を知らない。どうだろうか、この二者をめあわせたいとは思わないだろうか。

互いに知らしめたいとは、思わないだろうか。 

私の挑戦したかったメタゲームは、これである。

メタゲームとは、超ゲーム、個々のゲームをカードとして遊ぶカードゲーム、あるいは個々のプレイヤーを駒として遊ぶボードゲーム、個々のゲーム会を升目に見立てる双六、ということである。

これはお分かりのように、極めて不遜な行為である。なぜなら一緒に遊んでいるように見せかけて、私は君たちを駒として遊ぶ神の立場だと妄想しているのだからである。

こんなことが駒たちにばれたら、どんな目に遭わせられるだろう。アリスがトランプの兵士たちに槍を持って追われたように、厳しい制裁を受けるに違いない。

従って、この秘密は決して口にしてはならない。ましてや公開される日記に記すなどとはもってのほかであり、私はこの秘密をわが胸一つにしまって墓場まで持って行く決心である。 

私は自分の思いつきを秘密裏に実現するために、まず高橋さんに教わった連絡先に手紙を書くことから始めた。おそらく2006年の9月ごろのことだったろう。

ありがたいことに能登のごいた保存会からは、廉価版の駒と、『ごいた入門』(初版)が送られてきた。(同時に私の勧めでミクシィにごいたコミュもできた。) 

内容を確かめると、全く期待通りであった。 

まず、ごいたは初めの手札が完全な形で残る。これは麻雀や花札、ポーカーやラミィキューブなどでは全く望めないことであり、ある意味ごいたはブリッジ以上に完璧であった。 

次に手札の有利/不利も大きい。ごいたをご存じの方はすぐわかるだろうが、ごいたには絶対的に良い駒種がいくつかある。まず何と言っても王である。王は歩と香以外の全ての駒を切れる。

もし攻撃に使えればこれを受けるすべはない。上がりの得点も最大である。もし王が二枚配られたり、かかって(パートナーと1枚ずつ持って)いるならば、勝率は圧倒的に上がるだろう。

字は間違っているかも知れないが、「播磨王」などというそれを表す用語があるくらいである。また香も王で切ることのできない強力な駒で、これが四枚親の手の内にあればそのまま勝ちである。

これも「ヨンゴン」「サンゴン」などの用語?があるくらいだ。また大駒と呼ばれる飛車角も王・香ほどではないが、良い駒である。前回述べたようにこうした駒の「格差」は、デュプリケートにするための、

大切な必要条件である。 

更に、ブリッジ同様パートナーシップゲームというのも良い。四人でやるが二者ゲームであり、それは多人数ゲームのカオス性が減殺されるということで、デュプリケートにする意味が一層増すのだ。 

それやこれやで既存のブリッジボードを全くそのままごいたに使えるのが、何と言っても魅力であった。ここに私は、日本の優れた伝統ゲームと、西洋の優れた周辺システムの、

幸せな出会いを幻視したのである。 

機運は整った。幸いなことに当時は既にゲームスペース柏木(旧所)があり、たくさんの駒、じゃなかったゲームプレーヤーが集っていた。ここで声をかけると多くの仲間が(何も知らずに)集まってくれた。

その多くは今に至るも東京支部を支えてくれている。ありがたいことである。若干、後ろめたいが… 

10月上旬と11月の上旬に旧柏木で講習会を開き、評判も上々であった。もちろんこのときは普通の150点ゲームである。 

2006年11月22日日曜日、記念すべき第一回東京例会を開いたたが、残念ながらこのときの記録は残していない。 

12月13日水曜日、第二回のごいた例会を柏木で開いた。初じめの頃は月二回の開催であったのだ。第二回の参加者は、私のほか、Y、О、N、H、М、S、N、T、Aの10人であった。

ごいたの評判は上々であり、公式戦としてレーティング戦も始めた。これ以降は全ての例会記録が残っているし、それはそれで面白いのだが、ここでは本題からずれるので全て割愛しよう。

ちなみにこの年の10月18日〜26日、私は初めてエッセンを訪れた。 

ともあれそれと前後して、私はカードごいたの作成の画策を始めたのである。能登のごい保存会には、「普及のためには、どうしても手に入り易いカード化が不可欠である」と言って説得し、

正規に許諾を得た。もちろんこの私の言葉に、下心はあっても嘘はない。 

デザインは、ゲームマーケットのカタログなどで力量の明らかなМerryniceさんに頼んだ。印刷はつくりみちさんの萬印堂、販売はヤマガミさんのグランペールと、

全ていわばゲームマーケットの仲間内であったので、順調に進んだ。 

私がこだわったのは、ブリッジサイズ、元の駒の形を絵柄として残すこと、インデックス、そして何よりも厚みである。なぜ厚みに拘ったか。それは、前述の隠された意図によるものである。 

ブリッジボードには、13枚ずつカードが入るポケットが四つついている。デュプリケートごいたに、このボードを流用するつもりなのだが、ごいたは8枚が手札である。

トランプと同じ厚さではゆるくなってしまう。ガタガタするぐらいならまだいいが、カードが抜け落ちたりしてはボードとして致命的だ。この事をつくりみちさんに持ちかけると、

彼はブリッジプレーヤーなので、私の意図を正確に理解してくれた。ごいたカードが厚目なのは、実はそういう理由に依るのである。 

2007年3月、ついに初のごいたカードが完成した。表面には将棋の駒型の絵と赤い文字、もちろん歩は「し」、桂馬は「馬」である。インデックスが入り、サイズは当然トランプと同じ。

裏面には、緯度経度を思わせる碁盤の目と、能登半島のシルエット、そして宇出津に位置する王将と、ごいたを示す要素がすべて入っている。素晴らしい。 

さて果たしてボードに収まるか。8枚ずつに分けて各ポケットに…ピッタリ収まる。完璧だ! 

3月28日水曜、第七回ごいた柏木例会には、最終的には21人が集まってくれた。早速デュプリケートのペア戦を開催した。私がディレクターとなり、参加16人、8ペア、4テーブル、21ボードの

ハウエルムーヴメント、マッチポイント戦である(av.=31x)。熱戦の結果37xで、ぢ〜ぷ、mattyanペアが史上初のデュプリケートごいた優勝者の栄誉に輝いた。

私の野望は、こうしてひとまず達成されたのである。 

では、デュプリケートごいたの評判はどうか。悪くないが特段よくもないというのが、正直なところである。だがやってみると独特の緊張感がある。例えば王が二枚手に来たら、

上がれるのは間違いないのだが、同じ手の他のプレーヤーより大きく上がるにはどう打つかを考えなければならない。またその手で上がりを逃すと、

大きなスイング(点数の出入り)になるのは明らかなので、より緊張する。逆に誰がやっても上がれないような手は、むしろ致命傷にはならないので気楽だ。 

ただ、ブリッジもそうだが、1回のディールの結果がすぐ出るわけではないので、爽快感に欠ける面があるのは否めない。全部が終わってからでないと結果がでないからである。

だから1ディールごとに結果の出せる、チーム戦のボード・ア・マッチ方式がいいのかも知れない。 

一方、研究好きの人にはおおむね好評である。ボードが保存されているので、失敗や成功が、正確に検証できる。運がわるかったのか、腕がわるかったのか、ある程度の評価もできる。

手を保存しておいて、他の人にやってもらうことすらできる。ブリッジと違ってビッドがないので、純粋にプレーだけの巧劣を見ることが出来る。ただ、近頃ごいた例会の参加者が少なめなのが悩みの種だ。

デュプリケートは7人以下ではできない。(時間のある人は、偶数月の第一月曜の19時半に、柏木(現在地)に来てみてほしい。) 

ごいたカードは、その後、ピグフォンやねこまどからも出ているし、噂によると例のラブレターも2組使えばできるそうである。 

kaiさんやねむりねこさんから、カードごいた製作の相談を受けたとき、 

「ごいたは伝統ゲームだから、誰が作ってもいいと思います。私に断る必要はないけど、れっきとした保存会があるのだから、保存会には話を通すべきでしょう。」 

と答えた。彼らは能登まで出かけて許諾を受けたという。でき上がったものは、それぞれの特色のあるよい製品である。そして私はその点については、全く何も言わなかったのだが、

試してみたらちゃんとボードに収まるのである。(トランプサイズを踏襲したので当然ではあるが。) 

碁盤の上で手作りの竹駒をピシリと打つ、この快感は素晴らしい。だが、残念ながら手作りの竹駒だけに頼っていては、広い普及は覚束くまい。ごいたのように手軽で楽しいゲームの普及に、

カードごいたが少しでも役立ったとしたら、これは素晴らしいことである。だが、実は、それは私の真の製作意図とは、かかわりのないことだったのである。 (おわり)

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