雙六手引書24

№24 (抄№ 22) 

_●●●●●x______ 

_●●●●●x______ 

_●●__●x______ 

_____●x______ 

______x______ 

1 2 3 4 5 6 6 5 4 3 2 1 

______x______ 

_____○x______ 

○____○x______ 

○_○○○○x__○___ 手石● 

○_○○○○x__○___ 

内 外 

書24:五一 四二をば三ぢへはしるべし 四ぢ五ぢへつかひてはてきのいしをうてのちわがでつちをうち 

三ぢにてでつちとすりぬれば 三六とうたれてまくるなり 

[解説]

図は抄22に同じだが、説明文は細部でかなり違いがある。あとで詳しく検討したい。 

抄22:五一 四二をは三ぢへはしるへし 四ぢ五ぢつかふては敵(てき)のいしをおいて後(のち)に

我(われ)重一(てつち)を打(うつ)時(とき) 三ぢにて重ぢをすりぬれは三六とうたされてまくるなり

これは結局考えすぎであるように思う。 (抄№ 22) で検討したように、11で無理に打たなくても勝てそうだし、

たとえそうしても黒に3さえ出なければ勝つので、それほど問題とは私には思われない。11は36分の1、63は18分の1なので、

648分の1の心配をしているわけで、むしろ有害な考え方であるように私は思う。もしかすると実戦で11とスイッチヒットしたら63で大逆転を食らって、

「だったら11でひき逃げできるように3ポイントに3つ重ねておけばよかったと後悔した結果なのかもしれない。

しかし杞憂とは言わないまでも、あまり意味のある心配とは思われない。 

ともあれここでの成果は「書」によって「抄」の読みが補強されたということであるように思う。